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2021年7月1日(木)

 なんとなく惹かれる文章というものがいくつかある。

 日々意識しているというわけではないけれど、ふとした時に思い出し、読み返したくなるような文章である。

「何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭で新しくって、大変学生に気受が好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、矢張り明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄の合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰り返して、其処を説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。仕舞に手を額に当て、どうも近来頭が少し悪いもんだから……と茫乎(ぼんやり)硝子窓の外を眺めながら、何時までも立っているんで、学生も、そんなら又この次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。......」

(夏目漱石『行人』新潮文庫版299〜300頁)

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