選んだのではなく、選ばれたと思いたい。~やりたいことがわからないあなたへ~
37年間務めた会社を定年で辞めて、持っていた資格がキッカケで、キャリアコンサルタントの仕事をいただいたのが4年前。それ以来毎日相談者さんと向き合って、お話を聞かせてもらうことが、わたしの仕事になりました。
つまり、キャリアプランをしっかり描いていたわけではなく、ある意味、偶然に導かれて今の仕事に就いたのです。
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ある面談で出会った若者の話。
立派な会社に就職して働いてきた彼が、「これは自分のやりたいことではないので転職したいが、自分のやりたいことが分からない」というのです。彼は、「人には天職みたいな、その人に相応しい職業が必ずあるはずで、自分はまだそれに出ってないだけだ」と、考えていました。一生懸命に、どこかにある自分に相応しい仕事を探していたのです。わたしには、彼が、まだ見ぬ桃源郷を求めてさまよっているように感じられました。
そのとき頭にうかんだのが、わたしの好きなビクトール・E・フランクルのことです。フランクルは有名な『夜と霧』を書いたオーストリアの精神科医であり、人生の意味を大事にするロゴセラピーの創始者としても有名です。その著作『それでも人生にイエスと言う』(1993,春秋社)の中で、フランクルは、人はなぜ生きるのかという問いに対して、このように応えています。
わたしたちは、人生がうまくいかないときに、「自分はなんのために生きているのだろう?」と誰かに訊ねてみたくなります。そのような問いに対して、フランクルはこのように説いているのです。
フランクルのこの考えは、「人生」を「仕事」と置き換えてみても成り立つのではないかと、わたしには思えました。そう考えると、「わたしの天職はどこにあるのだろう?」とか、「わたしはどんな仕事についたらいいのだろう?」と悩むことに、あまり意味がなくなります。逆にわたしたちは、仕事の方から常に、「あなたはどのように働くのか?」と問われているのです。重要なのは、見えない「正解」を求めるのではなく、どのように働くのかという「姿勢」の方なのだということが見えてきます。
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わたしは、偶然今の仕事に就くことができました。そして夢中で4年間働いてきて、中には「あなたにお話しできて良かった」と言ってくれる人がでてきました。そんなときは、ひょっとして自分はこの仕事から選ばれているのかな?と思わなくもありません。でも思い上がりは禁物、いつかはちゃんと選ばれるよう、一人一人とていねいに向き合っていこうと、思いを新たにしています。
この文章は、「自分が何をしたいのかわからない」とか、「どこかに自分の向いた仕事があるはずだ」と、迷っている人に読んでもらいたいと考えて書きました。そう考えている人は多いと感じています。
わたしは、仕事を選ぶのに、そんな立派な理由はなくてもかまわないと考えています。偶然でもいいし、条件が良かったからでもいい。大事なのは成功することではなく、目の前の仕事に打ち込むことではないでしょうか。
イヤイヤやっていては、その仕事があなたに微笑むことはないでしょう。夢中になって、小さな工夫を毎日重ねていると、あるとき、「さすがだね」とか、「この仕事は君に向いている」と言われる日が訪れます。そのときこそ、あなたが仕事から選ばれた日になるのです。
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