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去年の今日

今日(厳密には昨日)はこの前の投稿まで…と思っていました。
このマガジンの本題からするとイントロダクション的な話ばかりが続きますが、ちょうど私の主戦場…と言いますか、私自身、一番しっくり来ている(何と言っても公開範囲が一応選べることになっていますので人見知りな私には最適!)Facebookの「思い出」に1年前の今日ということで、こんな投稿が上がって来て、それはまさに、この大冒険に繋がることだったので、ここにシェアしたいと思います。
以下、まず、その内容をコピペしますね。

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今日の、というか、泰代さん*のonline話奏会**のゲストのテーマはこれだった。↑
なので、最初?(結果的に最後まで?)私は真面目にテーマに沿ってプレゼンテーション用のスライドを用意して。
私が話し始める前に名司会者でもあられる泰代さんが参加の皆さんそれぞれにそのテーマの話を振られ、皆さん答えておられた中には例えば泰代さんの母校の事務のお仕事をされながら大学の事務職をされながら今の私と同じ54歳の時に大学に編入されたと言われる方もおられ、安心して、その場の雰囲気によっては引っ込めようと思った最後のスライド***も発表しました・・。
その時も発表したのですが、その動機は元々(その時は言わなかったけど)ファッションジャーナリストになりたいと思うくらい服のことは好きで、子どもの頃はデザイナーになりたくて、実際、子どもの頃・・例えば10歳くらいの頃、出入りの腕利きの仕立屋さんにデザイン画を渡したらその通り?の服を作ってもらえる境遇にいて、デザイン画さえ書いて素材を選べばデザイナーになれると思っていて。で、ある時、デザイナーは縫えなきゃいけないんだということが判って、それは??と思ってどんどんそこから外れて行って……。
で、また、最近聞いた茂木(健一郎)さんのお話しにもあるように、「ビジネス」?資本主義の世の中においては、「ほんとうは」高畑勲さんのように絵が描けなくても?アニメの監督にはなれるのだから、私も自分の子どもの頃のように「プロデューサー」にはなれるのだろうけど、
この間の「日本の三味線色々」絡みで色々なお話を伺う中、地歌の先生にお話を伺った時、地歌をやっていると、学校の必修科目で分業の長唄をやった時、「楽」だと思う反面、自分ならここでポンと入れる時にポンと来ないのが結構フラストレーションになる…みたいなお話をされていたように、
夢雲で出会った辻本しん子さんの写真つながりで伊藤尚美さんデザインの布と出会い、服を作りたい衝動で3枚は作れたのですが、今年作ろうとした4着目になると、自分が技術がないこと(と忙しかったこと。)で頓挫してしまっていて…コスプレをしたい娘を唆して代わりに技術を身に付けさそうとしても、流石私の娘?なので「自分でやれば?」と一蹴され、たまたまその伊藤尚美さん関連で南山城村を訪ねた時に素晴らしげな枚方は星ヶ丘の洋裁学校を知ったので、そこに通って技術を身につけようと思っているのでした。
やっぱ、昔は実は母伝授で(棒針の)編み物は好きだった私ですが、洋裁の速さが、たまたま自分は全然やらない3号がNetflixでhttps://www.netflix.com/jp/title/81026300を見るのに私がPC使って作業している横でテレビで見ていたのにも触発され。
今日も言っていたのですが、それこそ、万一102歳のお友達みたいに元気で長生きできたとしたらあと50年近くあると思えば!!(ちなみにそのお友達は60から麻雀を覚えて(私の亡き父と彼女の亡きご主人は彼女のお宅で麻雀をしていた)今でも息子さんのお友達とされている)今から自分の好きに自分と同じ体型のボディーを作って自分用に自分の好きな服を作ったり、もしかしたら自分の娘用にウェディングドレスを作ったとしても全然バチが当たらない。実は数年前にロックミシンを買いながら使い方が全然解らないということもあり。まぁ、衣食住。家庭菜園作るのと同義な感じで服を作りたい、ってことですね。
そういう意味では、恵まれた環境で育ったお陰で普通?の人とは順序が逆なのかも、と、思います。
普通?は自作が先でプロデュースが後。でも、私はプロデュースが先で、自作が後、みたいな。
そういう意味では私はこう見えても一人娘だから突出できなくて、優等生的に普通の学校を首席で出る(それでつまらない人達を黙らせたかった!本当に。)道を選んだけれど、これからもっともっと尖って行くのだと思います。
そう。ラ・ネージュ的なことも、世襲でなければ普通、キャリアを積んで、定年退職後くらいから始めるのだということもごく最近知りました。

*この時の司会をされ、私をゲストスピーカーとして招いてくださった左手のピアニスト・瀬川康代さん。ちょうど今年の今、リヒテンシュタインでコンサートを終えられたところです。
**昨年、コロナの時代となり、演奏を届ける方法として、音質等々考えられた結果、YouTubeのライブ配信でコンサートを行い、それを聴いた方とテーマを設けてZoomにて交流する。人数を限定してコミュニケーションを取れる方法でするお話しのある演奏会。元々茶室ゆえ、リアルにそういう形でコンサートを開催して来たラ・ネージュで、同じ思い出コンサートをされて来た泰代さん、共に、コロナ禍でどういう形で音楽の灯を消さずに継続するかということも考えていたので共にタイトル等も考え、ラ・ネージュのイベントとしても実施する中、ゲストスピーカーとしても呼んでいただきました。
***このタイトル写真に選んでいる1枚です。

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今日からこれを書き始めると決めた日に、この投稿が思い出として上がって来て、過去と現在とを繋ぐような気がしてとても驚きました。
また、これを見て、今回、この「大冒険」の船出のきっかけとなった、この縞々の服が既に裁断され、このようになっていたことも改めて知りましたし。

結論から言って、この時の決断通り、4月からその洋裁学校に通い、それ故4月からは開講されたサンスクリット語の聴講は難しくなりましたが、とにかくその洋裁学校に通ってみる経験なしでは、絶対に、こんなに沢山の服やバッグを作ることはできませんでした。

#続きはまた明日ぁ〜!

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