2024/03/06

どちらかというとあまり怒らないタイプであるとなんとなく自認している。内心怒り狂っていることは多々あるが、対外的に怒りを剥き出しにして反論したり怒鳴ったりすることはよほどのことは
がなければほとんどない。

これには2つ理由がある。こういう書き出しをしておきながらだが、全くかっこいい理由ではない。

1つは「激情している人が噛んだらめちゃくちゃダサいから」である。
大昔に父親が何かに対して怒鳴っていた時に、思いっきり噛んでしまったことがあった。
通常なら噛んでしまった時はその場で訂正を挟めばいいのだが、気持ちが昂って怒鳴っているのに噛んだ言葉を言い直したりした日には非常に間抜けな図になってしまう。

かといえ、噛んでもスルーしようものなら怒鳴られ対象の頭上にはずっと疑問符が浮かぶことになり、怒りに対する恐怖が薄れ、相手が滑稽に見えてしまうのである。
そして悲しいかな、怒りで興奮していると舌が回りにくくなり、噛み率が異常に高くなってしまいがちなのだ。

確かこの時の父親は「噛んだ箇所を訂正する」を選んだと記憶している。
その後も変わらず怒鳴る父親を前に、「怒っている時に噛むのってめちゃくちゃダサいんだ」と冷静に父親を見下ろす私がいた。
この時の私は今でも私の理性をずっと守ってくれている。

2つ目は「私が正しいと言い切れることはこの世にほとんどない」からである。

例えば人間関係のいざこざであっても、片方から表面的に話を聞いただけで全てのジャッジを下すことがあってはならない。
双方の意見を聞いて初めて「自分はどう思ったか」という判断軸で意見を述べることが許される。我々は神でもなんでもない不完全な存在なので、何に対してであろうと「絶対に〇〇が正しい」だなんて言い切ることは不可能なのだ。

ただ、そのような前置きをした上で唯一「絶対に正しい」と胸を張って言い切れることがある。
それは投票に行くことだ。

選挙シーズンでもないのになんでこんなことを書いているのか自分でも分からないが、「投票に行かないことは正しい」ということは絶対にない。正直、投票に行かない人のことは軽蔑している。

確かに選挙は面倒臭い。どいつもこいつも胡散臭そうだし、誰が当選しようがそれほど違いは感じないと思うかもしれない。その上「人口において高齢者が圧倒的割合を占めているから、我々若者が選挙に行っても無駄ですよ」なんて言説を垂れる輩すらいる。私はそういう奴らに恥を知れと声高らかに言いたい。
どんな思いで民主制になったか?どんな思いで女性に参政権は与えられたのか?一度義務教育をやり直してみるがいい。
ちなみに選挙に限らず歴史そのものについては私もそれほど詳しくはない。

「若者は人口が少ないから投票しても無駄」

確かに若者の人口が少ないのは事実だが、それを憂いて投票に行くのを怠れば投票率の低下にさらに拍車がかかるだけだろう。
政治家は投票が得られると思う層をターゲットにして政策を打ち出す。投票率が低い若者に向けた政策がほぼないのはそういうことである。

「政治についてよく分からないまま投票に行くのは無責任だ、だから投票には行かない」

そう思うのは分からないでもない。
以前ツイッターで「投票とはうんこの中からもっともマシなうんこを選ぶ作業だ」と言っている人がいた。ちなみにこれは私が投票に行く理由の一つでもある。
自分がマシなうんこを選ぶ作業をしなければ、他の人の手によって最悪のうんこが選ばれる可能性がある。それに幾分か抗うため、そして最悪の結果を招いたとしても「私は投票することによって抗った」という既成事実が生まれる。
仮にその最悪なうんこが総理大臣に選ばれ、「明日から1人1本うんこを食べるように」という法令が下された場合、最悪なうんこ以外に投票した人には拒否権があるように思う。投票に行かなかった者は無論うんこを食べなければならない。

「自分は無投票という投票をした」

これはもう論外です。投票に行っていないというのを面白おかしく晒し上げた挙句なんかオシャレに言えたと勘違いしてらっしゃる。
救いようがないし、己の不甲斐なさを分からず大衆に晒しているだけでしかない。
黙って投票に行け。

早く寝ないといけないのに「投票の話に関してはフルスロットルでキレられる」という一点だけでこんな駄文を書き上げてしまった。情けない。
みんなも投票に行きましょう。

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