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第10回 毎月短歌連作部門選評

おはようございます。こんにちは。こんばんは。田中翠香です。深水英一郎さんの表題の企画にご縁あって選者として参加することになり、現代語・連作部門でそれぞれ佳作2首、佳作秀歌2首、特選1首をそれぞれ選出しました。
以下、選出作品と選出理由を書いています。どうぞご覧ください。

佳作 「持参」
微円

お風呂場の壁、コンクリートでして正拳突きが日課ですのよ
身体を抜ける陽射しとか愛してる自意識だけが残ったセトリ
じゃじゃ馬のじゃじゃってなにってそりゃお前オレの3人目のオンナです
くぁwせまで打って世界の理を抱きしめたまま土に還った
足だけが冷えている足だけがまた孤独をはらむ強めの除湿
LINEから提案される「はい」「そっか」「風」を頼りに生きてもゆける
なぜぼくの口は生ごみフレグランスパリで個展を開くのが夢
チャイムからわざと十秒遅らせて入る教室にしかない熱
酔った父寝かせるとありがとうなと言われてなんか泣いてしまった
(フォト内の姉に関する写真÷全体)×100されている
自分の中を覗き込む延長の連続のタコ足配線~
cuとkuが「く」になるまでの思いごと抱きしめてあげたい
ジュゴンよりマナティ派だなとか言ってしっぽだけでしょ私の価値は
「ヒトデになりたいよ」傲慢な息子を海に放せるほどの愛は
始末しないとデシリットルのはかなさをきみはしってるそうなので
特売の精肉凍らせることと頭を撫でることは一緒だ
東京を車観光した人の気持ちモーダルインターチェンジ
牛革のベルトすりすりあの子の手僕よりざらざらしてたんだよね
We leave nothing. わたしは『ない』も連れていきたい
空をりゅうが覆っていた時代の名残をすってはいて生きて死ぬ

(選評)

 完成度が凄いか?と言われたら特別凄いわけではない。1首1首が凄いか?と言われたら特に凄い訳でもない。率直に言えばなかなか玉石混淆な連作だ。ではなぜこれを?と聞かれたら、連作全体のエネルギーというか、その玉石混淆の中の玉に、ひとつこの作品のパワーに賭けてみるか、と思わせる力が圧倒的にあったからだ。
 2首め。文化祭かライブだろうか?しかしその狂熱を描くのではなく、残ったのは自意識だけだとするシニカルな把握がある。ライブそのものを描かず、その底にある意識の流れを見事に掴まえている。
連作中では8首目がとくによかった。一瞬の景や感情を捉えられる作者だと思うが、オリジナリティあふれる、しかし確かにそこにある瞬間を完璧に描いた。その一方でマナティの歌のようなどこかシニカルな作品もあり、幅広い歌を詠み続けられるのではないか。
最後の歌は白眉。「現在」というこの一瞬を、地球史とい雄大な時間のスパンから見直しつつ、どこかファンタジックな要素もある見事な1首だ。
のびしろという点では一番よかった連作だった。また気が向いたら詠んでほしいな。

佳作 「ニトリで踊るな」
汐留ライス


生活がうまくいかないテフロンのフライパンまで焦げつく夜で
カーテンレールを曲げる理由がわからないだってカーテンレールですよ?
テーブルの上に花瓶を置く暮らし造花を差して倒れる暮らし
古新聞古雑誌集めて束にして捨てに行くだけの余力はない
コンビニのビニール傘のしぶとさを見習いたいです見習えないです
いっけなーい塩と砂糖を間違えて夜と昼とも間違えて今
「電車がきます」のアナウンスの後におれだけ逆の方を見ていた
ニトリにはたくさんのお客様たちとたくさんの生活あふれて目まい
スリッパはどれも左右が揃ってるどんなにひとりになりたい時も
店内のBGMと動物の悲鳴の区別が曖昧になる
インド映画かよ突然いっせいに不気味なダンス踊る客たち
展示品のクローゼットを開いたら中は地下ヘの隠し階段
地下六階と地下七階の間にサンショウウオ売り場細々と
欲しいもの何も買わずに店を出る余計なものだけ両手いっぱい
リビングの壁に気持ちの悪い絵を飾ってぜんぶ悪夢にします
生活はうまくいかない焦げついたフライパンで地蔵殴る夜

(選評)
 いわゆる「生きづらさ」がメインテーマになっている、その点では今の時代のきわめてスタンダードな連作だといえる。しかしこの作品はその「生きづらさ」の切り取り方に独自性がある。2首目。なるほど、こりゃ生きづらい主体だろうなと思う。これは言われて初めて気づいたし、そもそも気づいたところでそこまで気にしないのでは……?と思ってしまう。しかしいちいち気にしてしまうあたりが生きづらさであり、同時に歌人としての鋭さでもあるのだろう。
4首目はリアルな痛みを伴う生きづらさだ。圧倒的に、今を生きることのしんどさがある。実景かはわからないが、そう思わせるだけの生々しい感覚がある。6首目も軽やかな口調だが、中身は重い。このきつさが歌に軽さを求めるのではないか。
そう考えると、クローゼットの歌はまた違う姿を帯びてくる。それはファンタジックな景ではなく、気を抜けば闇に堕ちていきそうな恐ろしさだ。
全編を通してネガティブな生きづらさが軸となっているのだが、作者の着眼点の独自性により飽きさせない。とくに最後の歌の結句。フライパンで地蔵を殴る???となってしまうが、ここまでの歌の流れだとそこまで突拍子もない感じではない。この二物衝撃と破壊衝動のパッションこそ、この連作の素晴らしさではないだろうか。
日常と地続きなファンタジックな世界観が、生の痛みをもって描かれた作品だ。

佳作秀歌「九萬」
白川侑


はぐはぐとビッグマックをほおばって強がるための栄養とした
まちがえて白いチケットを食べたからドラマみたいなカットがかかる
平成を脱げないドール さびしげな風に吹かれて六度目の春
びいどろのような瞳に騙されて車をとめた夜のシアター
スーパーの酸欠めいたパック寿司にもていねいに合掌、ナミダ
ひとりでも生きていけると呟いてきたない海にきれいな魚
放たれた音声だけが実体になり むらさきの透明が濃い
ほんとうのわたしはどれで 悪役を月にかわって討つ夢を見た

(選評)
 これはもう1首目が抜群にいい。ビッグマック。確かに腹持ちはするだろうし、カロリーも高そうだ。でも栄養価は?と聞かれたらたちまち自信がなくなってしまう。たぶんそんなにはない。でも、これから向かい合う出来事に対して自分を奮い立たせ、強がらせるための手段としては、かなりいい選択ではないだろうか。
 とはいえ、それは事態の解決策としてはいささか心もとない。むしろ、無理矢理自分にそう信じこませるような寂しさがある。それが歌として明確に現れたのが3首目だろう。平成がそこだけ残っているかのようなショーウィンドウの景だが、主体の心もまだそこにあるのではないか。
六首目の魚を主体の姿の比喩だろうか。自分の魂の美しさを信じつつ、しかしいつ暗く染まってもおかしくない場所で生きている。ひたすら現実と向き合っているのだ。
だからこそ最後の歌の、セーラームーンのような変身願望の痛みは切実だ。苦しい世界に少しずつ変えられてしまう私なのか、それでも私は私であり続けられるのか。この主体自身へ向けられた苦しい問いは、同時に読者へと深く刺さる。
魂の純粋さと、しかしこの世界によって確実に変えられていく主体の苦しさを正面から描いた、中原中也の諸作品を思い出させる連作である。

佳作秀歌「ことばはともだち」
畳川鷺々


ことばはともだち湿った足先でたのしく遊ぶ 翼はあげるね
鳥籠茶と烏龍茶ってよく似ているね、いや鳥籠茶なんてものはないだろう
パンを焼く それは生地から捏ねてつくるってこと?トーストを焼くってこと?
山谷くん谷山さんが並びをりこの一角をジグザグと呼ぶ
雨上がりむらさきの空 暑がりのシャーリーは寝たふりですしおすし
連休はアッチェレランドに行きましょう回転木馬はひかりに至る
二番手で燻っている春の宵あらゆる語句にブルーと添えて
伊藤から藤井になって教室に「なんか惜しいね」と笑いがおこる
晴天をひっくり返す風が吹き江戸城天守に扇子が揺れる
悩みごとつぎつぎ星にして放つ矮小銀河がとてもおおきい
割り切って前へ進むというきみの残した涙…ひとつぶ
鳥籠茶とどてかぼちゃってよく似ているね、だから鳥籠茶なんてものはないだろう
語彙力の限界がきて脳内のウルフがそっとまあるく眠る

(選評)
なんでこの連作がこのタイトル?というパターンはままあるが、本作に関してはこのタイトルは完璧だと思う。そして生きづらさが前面に出た連作が多い中、この作品の言葉と軽やかに遊ぶ異質さに注目した。
2首目。まあ鳥籠茶なんてないだろう。しかしこの息苦しさはどうだ。烏龍茶というどこか異国感溢れる響きが、一気に冷たい響きになる。単なる言葉遊びに終わらない。
四首目はもう発想が素晴らしい。山折りと谷折りか、もしくは実際の地形を幻視する。九首目も同じ方向性の歌だが、これは歌から見えてくる光景の雄大さに心ひかれる。扇子が揺れる、という結句がまたいい。
生きづらさや日常の苦しさを主題とした作品が並ぶ中、言葉そのものと軽やかに向き合ったこの連作は、一陣の風のような爽やかさがある。
しかしそれだけではない。一番最後に置かれた歌の、ウルフという比喩の独自性と美しさはどうだ。こうした歌も詠める作者なのである。言葉と戯れる遊び心と、同時に歌の本流のような的確な表現の見事さ。これからもぜひ注目したい。

特選 「友だちのきみへ」
まちのあき


天使だと思ってしまう白線の上を歩けば振り向くきみは
たましいの容れ物として見たときに君の姿はかなりまぶしい
不意だった孤独にふれてチアシード膨らんでいく胸のあたりで
ペンケース中も見ないで選んだね生まれる前の夢をみたあと
水溜りまた飛び越えてゆく君はほぼ確実に泣きそびれてる
蜘蛛ならば与えるだろうひとすじの愛を与えるように雨、雨
はじめからつながっていた光また迎えにいくよたゆたえば海

(選評)
七首でこの世界の感情と情景を見事に描いた。迷わず特選である。
1首目。この情景そのものはよく歌われる。しかしそこに濃い感情を乗せた歌は、意外と多くはない。この歌はそこに感情が見え、なおかつ主体が向ける恋心も鮮やかであり、連作の導入としてよく練り込まれている。
2首目は「君」ではなく「君のたましい」にひかれる歌だ。これもまた感情がみずみずしい。しかし一方で、連作のタイトルが「友だちのきみへ」であることへの違和感が出てくるだろう。ここまでの流れであれば、当然「恋人のきみへ」ではないのか。
その理由としてはまだ恋人になっていないからということも考えられるが、何事かの理由があって恋人にはなれないふたりなのではないか。
そう考えると、4首目の切実さは深い。あなたが昨夜見た夢の中身を知ることができるほど、確かな関係が築かれている。しかし、主体から何かしらの行動を起こすことはできず、ただペンケースを買う姿を見守るだけだ。5首目はさらに切実だ。何事かの心の揺れがあったことは察知しつつ、しかし主体は「友だち」としてただ寄り添うことしかできない。
そうした一連の流れを受けた最後の歌は、これまでの状況から一歩を踏み出す決意表明として読んだ。これからどうなろうとも、あなたとつながっていることを信じて迎えに行く。情景は甘やかだが、その中身は力強い。連作として、相聞として、素晴らしい作品だった。

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