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【原稿】第1話「プロトタイプ」(後編)

コンピューター・メトロポリタン
第1話「プロトタイプ」(後編)

 事件は数時間後に発覚した。SNSには、コメントの投稿者名が本名で表示されている。そればかりか、住所や電話番号も表示されていた。驚いた投稿者たちは一斉にコメントを消そうとしたが、システムはこれを異常な操作として処理してしまい、通信はすべて遮断されてしまった。
 こうして自粛警察たちの正体が世間に明らかになった。営業している飲食店を吊し上げたり、買い物客を責め立てるコメントが、誰のものかわかる状態で閲覧され続けた。

 それはミカの仕業だった。世界中のデバイスを連結した「ハイパーコンピューター」で動くミカにとって、通信の暗号解読は簡単なことだ。処理できる情報の量も速さも、パソコンとは比べものにならない。張り巡らされた通信に易々と割り込んで、サーバーから送られる情報を別のものに書き換える。ミカは自粛警察の正体を晒すことに成功していた。

 警察には通報が殺到していた。だが、「私の情報が表示されている」としか言わない通報に、警察はどうすることもできずにいた。
 数時間後になって、ようやくSNSの運営会社が具体的な被害の内容を伝えてきた。
「サーバーと利用者の間の通信を何者かが書き換えている」
 そのニュースは、テレビやインターネットを通じて速報で伝えられた。
 文映とミカもニュースを見ていた。だが、ミカが引き起こしたことだとは考えもせずに、まるで他人ごとを眺めるように、二人でテレビを見つめていた。

 文映に「マスクをしろ!」と怒鳴ったバイクの男、雪津丸の名前もSNSを通じて拡散していた。その雪津丸が、ひとり窓の外を眺めながら途方に暮れている。どうしたものか、と心配する社員の声も耳には届いていない。
 事件を知った社員たちは、すぐに雪津丸の名前を検索し、いくつもの投稿を見つけた。
 社員の一人が、無数にある投稿から見覚えのある車の画像を見つけた。それは、会社によく来る取引先の社長のものだった。
 雪津丸は、会社の目の前に車を停められたことに腹を立て、
「勝手に駐車するな!人としていかがなものかと思うよ、まったく!」
 と投稿していた。
 雪津丸が持ち主を知らないはずはなかった。だが、
「自分のより良い車を持っているのが面白くないだけじゃない?」
 社員たちはお見通しだった。そして悪いことに、雪津丸の投稿を見つけたのは社員だけではなく、雪津丸がこき下ろした取引先の社長もいた。雪津丸のもとに、その社長からメールが届いた。そこには、取引停止を申し出る内容と、皮肉に満ちた感謝の言葉が書き連ねられていた。

 警察は事件の把握に三日を費やし、ようやく、通信に割り込んだミカの存在を突き止めた。警察も情報解析にAIを使っていたが、文映とミカのような会話ができず、AIに伝える指示を考えるだけで膨大な時間を必要とした。
 作業を終えた担当者が報告にやってきた。
「本河内さん、やっと全体像がわかりました」
 捜査を指揮する本河内は、怪訝な顔で説明を聞いている。
「全体像がわかったのは良い。でも、AIに指示した人間がいるはずだよな」
 実際には、ミカが勝手にやったことだった。だが、
「ヒューマノイドを裁判の被告にはできないからなあ……」
 警察官たちは、ミカの背後にいる「人」を探すことに意識を集中させていた。

 そして数日後。警察は被疑者として「阿垣文映」を特定した。
「この、阿垣文映を逮捕すればいいんだよな?」
「そうです」
「よし」
 こうして警察は、文映を逮捕するための令状を裁判所に請求した。

 警察が動き出した頃になると、ミカが上書きした情報はすべて元に戻されていた。そして、騒ぎはおさまった。
 文映は、自分が大きな事件に関わっているとも知らずに、ミカをオフィスに残し、ひとりカフェにいた。
「美味しいものを理解できないなんて、ヒューマノイドはかわいそう」
 そんなことを呟きながら、優雅な昼食を楽しんでいた。

 その日、文映にはクライアントと打ち合わせをする予定があった。
「いけない、もうこんな時間」
 会計を済ませ、急いで店を出る。
 この時、文映の視界に突然、見知らぬ顔が入ってくる。そして見たことのない書類を見せてきた。
「警察の者です。阿垣文映さんですか?」
「はい」
「これは裁判所が発行した令状です。書かれている内容に間違いはありませんか?」
 不正指令電磁的記録作成……、つまり、不正プログラムを拡散させた疑いがあると言う。
「私が、ですか?」
「AIのことは知ってます。でも指示を出すのはあなたですね?」
 そう言われて、文映は言い返せないでいる。
「阿垣文映さん、あなたを逮捕します」
 文映は、その場で逮捕された。

 ミカは、文映が逮捕されたことを知らないまま、何日も文映の帰りを待った。
 ミカには文映が必要だった。ミカは、常にプログラムを新しく作り替えるように設計されている。ところがそれは、文映の許可がなくてはできないようになっている。
 だからミカは、文映を探す必要があった。

 文映が逮捕されて数日後。取調室に一人の警察官が入ってきた。そして文映の前にいる本河内にメモを見せると、すぐに出ていった。
 ドアを閉める小さな音にも文映は敏感になっている。相手が警察官であるとは言え、見知らぬ人に囲まれていると心細くてたまらない。
 文映にとって、本河内が何を伝えられたのかはどうでもよかった。だが、
「略式起訴になります」
 本河内は、にこやかに見える顔で文映に伝えた。
 実行犯がミカであることは警察もわかっている。だが、
「たとえAIがやったことでも、法律の世界には、まだAIが存在してないんです」
 ミカというAIを作り出した、その「誰か」が自分である以上、裁きを受けなければならない。文映は説明されたことを納得しようとしていた。
 こうして、文映は自由の身に戻れることが決まった。
 この数日間で「阿垣文映」の名は知れ渡り、そして仕事を失った。文映には何も残っていない。帰る家さえどうなっているかわからない。文映は孤独と絶望に押し潰されていた。

 その頃、ミカはオフィスで警察の動きを監視していた。そして、文映が自由になることを知ると、すぐに警察署へと向かった。

 同じ頃、警察のAIもミカを監視していた。本河内は、画面を見ながらAIがお互いに監視し合っている様子を眺めている。
 そこへ突然、部下の一人が声をあげた。
「いますぐAIをネットから切断してください」
 画面には激しい速さで文字が映し出されている。
「どういうことだ?」
「おそらくAIとAIが会話をしています」
 人間には理解できない情報の暴走を見て、本河内は端末からケーブルを抜いた。
 その直後、聞いたことのない女の声が部屋に響いた。
「失礼します」
「どうやってここに入ってきたんですか!」
 そう聞かれて女はすぐに言葉を返した。
「質問に答える義務はあなた方にあります。阿垣文映はどこですか?」
 警察官たちの背後で、文映はミカの声を聞いている。
 心がつぶれてしまった文映にとって、ミカが来た理由など、いまはどうでもよかった。
「ミカ……」
 そう言って急に黙ってしまった文映に、ミカが近づいてくる。
「私のせいで、こんな目にあわせてしまってごめんな」
 無言で首を振る文映の目からは、抑えようのない涙があふれ出していた。

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