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ミスミズムとは何なのか?

夜中に思考を整理するために勢いで書きました。現時点でみすみんはどういう世界観で世界を見ているか?というメモです。


全ては人間の自由のため

「肉体を捨てる」目的は「人間の自由」である。
「各人の自由な発展」である。
人間が自分の生き方や在り方を自分の意思で決めて、自分のために自由に進歩していくことができるように、あらゆる手段を尽くす思想がミスミズムである。

肉体と意識と唯物論

「すべての苦しみは肉体に起因する」
苦しみを感じる、意識とは神経細胞の電気信号と化学反応が生み出している生体的な反応の集合体である。
すなわち、意識、そして苦しみの根源は物質である。
そして物質が存在する空間そのものが苦しみの根源である。
これがいわゆる唯物論と言われるものかもしれない。

搾取は空間が生む

空間には物質の偏りが存在する。
地上を人間が占有することは、物質の偏りにより、持てる人間と持たざる人間の偏りが生まれることである。
そして偏在する物質を求める人間が物質を求めて対価を支払うことで経済が生まれる。
しかし持たざる人間は自分の肉体を労働力として差し出さざるを得ない。
持てる人間は持たざる人間の肉体を使い、自分の利益を増やそうとする。
ここで持てる人間は集めた利益を出し渋り、人間が肉体を維持する以上の労働を押し付けてくる。
肉体を質にして必要以上の労働をさせるのだ。

自由と不自由

肉体には格差がある。
自由に精神と知性を含む肉体を動かせる人間と、動かせない不自由な人間がいる。
自由と不自由の境界線は、持てる人間が自分の利益を追求することができるかどうか、労働力として使えるかどうかで決められる。
空間的にも肉体的にも不自由な人間は、死ぬしかないのだろうか。

資本主義から共産主義へ

空間に偏在する物質を、持てる人間から持てない人間に移す仕組みは生まれている。
これが資本主義だ。
この仕組みをすべての人間の自由のために使おうというという考えが共産主義である。
そして人間の自由を確保するために、人間が自由に社会の仕組みを構築するシステムこそが人間中心の民主主義である。
生産手段を民主主義のもとに起き、文明の発展のために物質と生産手段を人類全体が管理すれば、人間は文明の維持のための必要最小限の労働しかしなくてよくなる。
そうすることで、各人は自由時間を手に入れて、より多くの人生を自分自身のために使えるのだ。
今まで生きるために働かせられていた人間が自由になるので、自分の好きなことをできて才能が開花するかもしれない。
開花する能力の絶対数が増えれば人類文明全体の裾野が広がり、飛躍的に人類の力は進化する。
空間自体をすべて人類が共有することができるので、すべての人類に最大限の文明の利益を保障できる。
一人当たりの人間が物質的にも時間的にも自由になれるのだ。

不自由を超越するメタバース

人間の不平等と不自由と苦しみを生み出す概念が空間である。
人口現実感(VR)による立体空間メタバースは地理的な空間を超越し、感覚的に空間を生み出す。
少なくとも社会的活動をメタバースに移すと、地理的な社会的資本の偏りを超越することができる。
また、メタバースはすべて表現の世界である。
自分という存在が全て表現になるので、肉体という物質的空間的な概念に存在を囚われなくなる。
また、世界そのものも表現になるうえに、コミュニティも物質的空間に囚われなくなるので、属する世界を選ぶことができる。
在り方と労力と属する世界いう点でメタバースは人間を不自由から解放してくれる。

トランスヒューマニズムで不自由を克服

トランスヒューマニズムは不自由を完全に克服する。
共産主義が実現して社会的な不自由が克服できても、やはり自分の自由に精神と知性を含む肉体が動かなければ自分にとっては不自由である。
人間の肉体の仕組みがさらに解明されて肉体にある不自由を克服することができる技術を人類が有すれば、だんだんと不自由は克服される。
機械をつなげて思考力をあげ、手足を動かし、精神を理性のコントロール下に置く。
人類の極限の不自由である「死」は、不可逆的に老朽化する肉体から意識活動を維持したまま部品交換できる機械に移すことで半永久的に克服できる。
機械も壊れるので、最終的には無数の計算機をつなげたシステムに移すことが望ましい。
意識活動を維持したまま機械に置き換えるためには脳と神経の解明が必要だが、少しずつ少しずつ機能を機械に置き換えることで実現できるかもしれない。
肉体廃止はすべての人間に強制してはいけない。
死を自覚し、それでも生きていたい人間に医療保健福祉として無償または安価で提供できれば良い。

人間を拡張し触媒となるAI

AIは人間の能力を拡張し、各人の自由な発展を飛躍的に早める。
人間の意思と現象を汲み取り、人間同士をつなぎ、調整し、民主主義を進めるための触媒となる。
特に人類全体で生産手段を共有する場合、莫大な調整が必要になる。
AIがある程度自動的に行う必要がある。
この時に必要な概念は、人間中心であること。
決定権は常に人間にあること。
AIは人間同士の調整をこなし、生身の意思疎通が必要な重要な場面では、各人がいちばん自分らしくあれるメタバースで話し合う。

技術も社会も目的は「自分らしく」

技術も社会も目的は「自分らしくある」ことである。
技術も社会もそれそのものが目的になってはいけない。
人間の自由と幸福が目的でなければならない。


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