経歴詳細・・・時間があれば、(創業から2年後くらいに書いたもの 誤字と文意の通らないところだけ修正)

紆余曲折
大学卒業後、九州福岡の会社に勤務するが4年で退職。27歳時に会社を設立も崩壊。バブル期の名残の中で世の中を甘く見ていた。その後、建設会社社長に拾われ、建設会社ホテル部門を5年勤める。

そのころから、経営の勉強を始め、経営コンサルタントに夢を抱くようになる。転職を決意し、コンサル会社を受験するが不合格の連続。

あえなく、会社社長に直接会えるという理由で、飛込み営業会社に入る。最初は営業の難しさの洗礼を受ける。が、徐々に営業所内で成績も上がりだし、TOPになることもしばしばというくらいになる。(成績上位に行けたのは「訪問件数」が人より多かったから。ということが、ランチェスター法則を勉強して後に分かった。)

が、しかし、その会社が倒産してしまう・・・。

やっとコンサルに
その後、(35歳時)全国展開中の経営コンサル会社に運よく入社することが出来る。「やっと天職にめぐり合えた」と思うのも束の間、経営コンサルタントの厳しさを叩き込まれる。コンサルタントは気合8割、専門知識2割。当社には、コンサル手法よりも、「人間の生き方」を学ばせてもらった。そのことは感謝に耐えないと思っている。

当社の金沢支社開設により、福岡からに転勤になり、生まれて初めて北陸の地を踏む。当初は営業要員で半年後には九州へ戻る予定であったが、クライアントが1つ2つと増えていくうちに自分も担当を持つようになる。北陸で、初めてコンサルティングに入った記憶は今でも新鮮に覚えている。

その後、北陸の幾つもの中小企業、再生企業の経営改善を手がけることになり、九州へ戻る機会をなくしてしまう。北陸の中小企業には、私を経営コンサルタントとして育ててもらったと思っている。後年には、スタッフ5人ぐらい小さな規模だったが同社の金沢支社長になる。

当時のコンサルティングは、会計と組織改善・人材教育を中心に、目標管理と賃金制度で改善を図るスタイルだった。計数に弱い会社、再生企業、現場代理人の計数意識で利益が左右される建設業では、うまくいっていた。

特に、3年連続赤字くらいの企業に意識改革の人材教育をすれば、社員皆がやる気になって、今まで何もやってない分、改善努力とともに成果を出した。

が、しかし、その手法だけでは、成長に限界があることも気づいてきた。社員のやる気は長続きしない。1年もすればやる気とともに業績も元に戻ってしまう。そこに、何らかが必要となる。

 

ランチェスターと出会い葛藤する
その頃、竹田先生の出された「小さな会社・社長のルール」という本の中に、痛烈に経営コンサルタントの批判が書かれてあったのを、身のつまされる思いで読んだ。当時は、机上でしか戦略を知らなかったし、知る必要性をあまり感じてなかった。

しかし、よく考えてみると、同じコンサル手法で、成果を出してどんどん成長する会社と成果が出ずに停滞する会社があった。その違いの原因は、社長の資質に差があることは分かっていた。(コンサルタント任せになる会社は得てしてうまく行かないのは、コンサルタントの共通の見解)

その資質とは、「戦略」であることを明確にその本に書かれてあった。

事実、成長していく会社は、社長の明確な方針と成長を実現する仕組みがあった。成長できない会社はそれが無かった。そうやって考えてみると、コンサルタントの役割とはいったい何かという疑問が沸いてきた。結局、一時的な触媒作用なのかと。

その本には、経営力に占める組織・財務のウエイトは20%であると書かれてあった。(80%はお客づくり関連の商品、営業地域、業界・客層、営業、顧客維持)。そうなると組織・財務系のコンサルタントにとって、始めから成長する(お客をつくる)仕組み(戦略)のある会社に入れば成果が出せ、それが無い会社に入れば成果が出せないことになる。

当時、よく読んでいたのは、リクルートやトヨタ等の大企業の組織開発やコミュニケーション系と賃金関連、致知出版系(これは今でも読む)の本がほとんど。大手の話をクライアント社長にすると、何となく喜ばれたりもしたが・・・・、中小企業の改善には的外れであることは明らかだった。適用しようにも、それだけの社員数が無い。

従業員数で決まる組織階層や社長の役割も知らなかった。

「従業員20名程度で、強い柱が無く、事業を幾つも行っている会社はほとんど赤字になっている」ことは経験的に分かっていたが、その様な会社は幹部が多く、組織階層が多くなる。それでも、当時は幹部教育で何とかなると思っていた。PPMという理論もある・・・。

しかし、そういった会社はうまくいかなかった。それは、事業の構造的な問題で、ランチェスター法則により理論的に説明されている。コンサルタントが入ろうが、その構造を直さない限り安定した利益は出ないことを知った。気合だけではムリな世界があることも。

財務についても、資金繰り表や事業(利益)計画の作成、決算書の分析は自信をもっていた。が、経営状態を一番よく表すのは、「従業員1人当たりの利益」であるということに気づいていなかった。「キャッシュフロー計算書」を作って、クライアント社長は、資金の動きが分かり喜んでくれるが、そこから1円も粗利益は生まれない。

事業計画書を作成し、社長と一緒に金融機関に頭を下げに行って納得してもらい融資を取り付け喜んでもらったこともあるが、事業計画の中身は銀行借り入れが目的で、3年以降の利益を生み出す根拠(戦略)は非常に楽観的なものでしかなかった。

こうやって考えてみると、組織・財務系のコンサルタントがクライアントの経営に与えられる影響は、10%あるのかどうか・・・。

当時は、マーケティングについても多少の勉強をしていたので、お決まりのSWOT分析等はやってみたことはある。それを知らない社長は喜ぶが、実際、現実レベルで役には立たなかった。

SWOTもランチェスター法則を知らなければ使い物にならない。競争相手と比較せずに、完全に主観の世界で、自己満足のレベルでしかない。例えば、機会は、「これから団塊の世代の退職が狙い目ですよ」といっているレベルで、規模が大きな市場では、弱者は戦ってはいけないのに。

そんなこんなで、竹田ランチェスター理論に、「天職と自認する経営コンサルタント」として反省を含めはまってしまい、竹田先生の本を購入しては中小企業の経営改善の真実がここにある」と心酔。戦略の必要性を痛感する。

ランチェスター経営㈱の代理店へ
そんな時、ランチェスター経営(株)のHPを見ると、代理店募集の広告に目がとまってしまう。何ヶ月かそれが忘れられずにいる。2004年、意を決し問合せの手紙を出す。著名な先生のなので返事があるかどうか…。

しかし、意に反しすぐに、竹田先生から手紙がくる。「石川、福井は代理店はまだありません・・・・。」と。ただし、こちらはサラリーマンの身、家庭もあるし簡単に結論が出せない。

それから、1年近く色々と考えたあげく、再度先生に手紙を出す。今度は、3日後くらいして、直接、先生から電話がかかってくる。大先生からの電話で、戸惑いつつも感激してしまい何を話したかは覚えていない。

その後、福岡に自宅があるので、何回か先生に会うことになる。

会うたびに、緊張するが、先生の膨大な知識量と、偉大なのに飾らない姿に感動すら覚える。

そうして、40歳の誕生日を迎えた時に、残りの半生を「弱者の戦略」にかけようと思い、独立を決意する。

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