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生きたいように生きる

私たちは、生まれた時はなんの概念もなく真っ白な状態で生まれてきます。

それが育ててもらってる人の思考が徐々に植え付けられ、それがあたかも当たり前、正しいかのような錯覚を覚えます。


幼少期に、他所の家に行ったとき、自分の家と勝手が違うことに驚くことはよくあることだと思います。

家の中という狭い環境の中のことが、世の中全てがそうだと信じています。


少しずつ外の世界へ目を向けれるようになると家と外の世界は違うものなんだと認識してきます。

そして、学校という狭い世界へ通うようになると、その狭い世界でしか、ものごとを判断できなくなって来ます。


家の中では親の言うことが当たり前。
学校へ行くと先生の言うことが当たり前。これが正しいと錯覚を起こします。

それに加え、テレビや新聞などを見ることにより様々な概念が植え付けられます。

テレビの情報は正しい。テレビが言ってたから。新聞に載ってたから。



実際、その現場を見ていなくてもテレビで流れる映像でそのことを知ることができます。それが真実だと。。

映画やドラマは実によくできています。

実際に起きていないことも映画やドラマで創作し演じることで、その世界に引き込まれていきます。

こうやって私たちは知らず知らずのうちにいろんなモノの影響を受けて、
自分自身が本当は何を求めているのかわからなくなってきます。

自分自身のことすら、わからなくなって来ることもあるかもしれません。



義務教育で同じ制服、同じランドセル、同じ給食、皆んな同じ!
同じにできない子はおかしな子。

"右にならえ"をさせられていたけど、
これ、大人になっても"右にならえ"で皆と同じようにしておかないと気持ちが落ち着かない人もいるかもしれません。

無意識に潜在意識に植え付けられているなぁと感じます。


皆と同じにできないと劣っている。
この思考がずっと続いていて

親になり子どもを産むと、よその子のようにお乳を飲まない!歩くのが遅い!喋るのが遅い!
常によその子と比較をする。
マニュアル通りの子育て。

これって本当かな?



すべて周りと比較し、周りが氣になり生活している。


人の目を氣にする思考で生きていると本当の自分の人生を歩むことができるのかな?

私は人と同じがイヤな子だったので、"変わってる子"でした。
よその子と同じにできない私を母はよく怒っていました。

母自身が周りの目を氣にしていたんでしょうね。



この学校というものは、よく作られているなぁと思います。
それが大人になって社会に出た時も同じようなことが起きます。


学校という集団生活を否定してるわけではないです。
学校は授業と給食の時間以外は楽しかったので(^.^)

「群衆心理」という本を書いたル・ボンが指摘している言葉。

1.群衆は衝動的で動揺しやすく興奮しやすい

2.群衆は暗示を受けやすく物事を軽々しく信ずる

3.群衆は感情が誇張的で単純である





群衆の精神に思想や信念を染み込ませるには
 

1.断言 論証もなく無条件に断言することは、精神、思想を染み込ませるのに確実な手段。

2.反復 反復された事柄は無意識の深層部に刻まれる。

3.感染 ある断言が十分に反復され、その物事が形作られれば、強力な感染作用が群衆の間に働き始める。



 

群衆の中に埋もれるのではなく、
一人一人が自分という一人の人間として、皆と同じではなく、それぞれの個性があることを認識し認めることで、とても生きやすい世界になると思います。


群れから外れることを恐れ、誰かに何か言われることを恐れ、群衆の中に埋もれたまま自分がどこにいるのか、どこに向かって進むのか自分の意思に関係なく、ただそれに従うだけの人生で終わらせるのか。。。


何を選択するのも自由。


自分が生きたいと思うことを選択して生きて行きたいですね。

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