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「量子力学が自由意志をラプラスの魔から救い出した」訳では無い

なにが、こうした変化をもたらしたのでしょう。それは死の意識です。科学が発達し、私たちは自分の体がアミノ酸の塊でしかないことを知っています。精神が脳の活動に過ぎないのに、どうして神や永遠なもの、完全なものを信じることができるでしょう

#ラブライブ! #高坂穂乃果 高坂穂乃果が神になる話 - ケータの小説 - pixiv

「魂」が存在しないことの論証

「幽霊なんて非科学的だ」「いや『存在するかわからない』という態度こそ科学的だ」という話がありますが、実際には「一般的にイメージされるような」魂が存在しないことは証明できます。
多くの人が無意識に持っているイメージは心身二元論、つまり「精神(魂)」と「身体」が別々に存在するというものです。しかし、第一次世界大戦で多くの負傷者が出た時、「脳のどの部位を損傷したか」によりどの知的機能が失われるかが決まってるかがわかりました。また、部分麻酔をかけて脳の各部位に電流を流すという実験を行なったところ、特定の部位に電流を流すと身体が浮遊する感覚が得られたという話もあります。また、薬によって精神状態が変化することを実感してる人も沢山います。要するに「精神(心)」は脳、つまり物質から生まれてることは確実です。

脳は物質であって、化学的・電気的などの活動で成り立っているのはもはや確定的な事実ですから、こころが脳から生まれることを認めるのであれば、こころもまた化学的・電気的などの活動から成り立っていることを認めざるを得ません。

【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室

「臓器移植された人が元の臓器の持ち主と好物などが同じになる」という話があり「脳だけでなく臓器にも『記憶』や『人格』が保存されてるのではないか」という話がありますが、「人は死ぬと(精神を司る)魂が身体から離れる」なら臓器に「人格」が残るのはおかしいので、これも「魂」が存在しない根拠と言えます。
これらは考えてみれば当たり前のことです。まぶたを閉じるだけでものを見ることはできなくなります。視覚が目によって得られてることは明らかです。一般的なイメージの(フィクションに出てくるような)幽霊は何かを触ったりはできませんが「見る」ことや「聞く」ことはできますが、普通に考えれば身体が無く目や耳が無いのに見たり聞いたりできるのはおかしいです。目が無くてもものが見えるなら生物は一体何のために目を発達させたのでしょう。もし盲目の人が幽霊になったらどうなるのでしょう。幽霊になったらものを見ることができるようになるなら変な話です。幽霊になっても見えないなら身体が「幽体」に影響してることになりやはりおかしな話になります。
目が無ければものを見ることはできない。耳が無ければ音を聞くことができない。脳が無ければ考えることも感じることもできない──そう考えるのが自然です。
なおキリスト教の牧師でも「(信仰と別に)科学的に考えれば魂は存在しない」と言っています。

自由意志が量子力学があれば存在することになる訳では無いことの論証

ラプラスの悪魔

大砲を打つ時、弾の発射速度と発射角度がわかれば物理法則から弾の軌道を計算できます(空気抵抗を無視すれば)。これは言い換えれば、弾を撃つ前から未来が決まっているということです。大砲だけではありません。あらゆる物体は物理法則に従います。上述したように人間も物質の固まりなので物理法則に従います。そのためすべての物体の位置と速度(と正確には電荷など)がわかる存在──ラプラスの悪魔──なら物理法則から未来に何が起きるかがわかる、つまりラプラスの悪魔にとって未来はすべて決まっていることになります。
実際にはラプラスの悪魔は存在しないでしょうし作ることもできないでしょう(ラプラスの悪魔が存在するなら自分自身も計算しなくてはならなくなり自己言及が生じるのでブラックホールのような特異な存在内部でなければ不可能という話もあります)。しかし実際に存在するかどうかに関わらず「物理法則で未来が決まっている」ことは変わりません。

量子力学

さて、これに対して「量子力学によれば未来は不確定だから自由意志は存在する」と言われることがよくあります。しかしこの説明は誤りです。まず、現在主流の多世界解釈では「あり得る状態の分だけ世界が分岐していく」ことになります。この場合「自分」が分岐した世界のどれに行くかはわかりませんが、「どのように世界が分岐していくか」は決定しています
では現在も否定されてる訳では無いコペンハーゲン解釈(未来は確率的に決まる)なら大丈夫かと言えばそれも違います。この解釈が正しい場合確かに未来は不確定ですが、未来がわからないことは自由であることとイコールではありません

この二つの混同もよく見られますが、例えばこんな状況を考えてください。あるところにアボカドが好きでトマトが嫌いな人がいました。その人に「アボカドサラダとトマトサラダどっちがいい?」と聞いたら何と答えるでしょう? 当然のことながら「アボカドサラダ」と答えるでしょう、つまり未来は予測できる訳ですが、だからその人に自由意志は存在しないことにはならないでしょう。もしその人がトマトサラダを選んだりランダムにどちらかを選んだりするならそれこそその人には「意思」が存在しないことになります。逆に、どの大学に行くかサイコロを振って決める、どの会社に行くかサイコロを振って決める、誰と結婚するかサイコロを振って決める、という人がいたとしたら、その人がどんな決断をするのかは予測不可能ですが、その人は「自分の意思で人生を生きている」とは言えないでしょう。

未来予測は確かに不可能です。しかし、別に自分の意思で「波動関数をここに収束させよう」と決められる訳では無いので、未来は自分の意思と無関係に決まります。要するに波動関数ガチャで未来が決まる訳で自分の意思が介在する余地はありません。量子力学があれば自由意志が存在するという訳では無いのです。
さて、では自由意志が存在しないと確定するかと言えばそれも違います。以下の回答では「人間の意思は量子状態と相互作用を与えるから量子力学の『不確定性』は単純なRandomnessでは無い」という説が主張されています。「自由意志は存在するか」は単純な議論では無いのです。

なお、「量子力学」ではなく「カオス理論」から未来は不確定と主張する人がいますが、カオス理論は単に有限の計算資源しか持てないコンピュータでは遠い未来ほど誤差が積み重なって正確な予測ができなくなるというだけの話で、未来が確定してるかどうかとは無関係です。
それと自由意志の存在を疑うと精神状態が悪化するので本気でやるつもりがないならやめた方がいいですね。


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