わんぷり考察(30話まで)〜2つの神社からのアプローチ〜

はじめに

わんぷりの30話時点での考察、というか妄想?メモ書き?です。
ありがたくもこのブログに目を通していただいた方のツッコミを期待しつつこれを綴っています。あくまで個人的に(公開している時点で建前にはなってしまいますが……)まとめているので、文体の不一致、誤字脱字、解釈違い、見逃しや思考と論理の飛躍も多々あると思います。
どうしても看過できない点がありましたらご教示いただければと思っています。

各話の内容の整理


各話の中から重要そうな点をピックアップして記載します。

1話

鏡石について、伝承と疑問の提示
「鏡石……姿が映らないのに鏡石」
「鏡石に姿が映ると願いが叶う」という言い伝え


「太古の昔、鏡は儀式に使われてた、この鏡石も祈りの儀式なんかに使われていたのかもしれないな」

わんだふるぷりきゅあ!第1話「はじまりは『わんだふる!』」

3話

ニコアニマル、ニコガーデンについて

メエメエ
「元はあなた方(いろはたち)の世界にいたのですが、太古の昔ニコ様と共にこの地に来たのです」
「ニコ様はニコガーデンをお造りになった方」
「すべての動物たちがいつもニコニコ笑顔でいられる様にニコガーデンと名付けました」

わんだふるぷりきゅあ!第3話「言っちゃダメェ〜!」

16話

鏡石の昔話について

わんだふるぷりきゅあ!第16話「鏡石のふしぎ」より
これもう答えだろ

「昔々、この辺りでは人間と動物が仲良く平和に暮らしていました」
「ある日、もっと人間と仲良くなりたいと望んだ動物が、神様にお願いしました」
「『神様、人間と話せるようにしてください』」
「すると神様が不思議な力を持つきらきら光る石をくれました」
「その石にお願いをすると動物は言葉を話せるようになって、人間と仲良く暮らしました」
「鏡石の評判を聞いてたくさんの生き物がやってきて道ができ、アニマルタウンができた」
「でも集まった生き物たちが争う様になってしまって、神様は悲しんで鏡石をただの石にしてしまった」

わんだふるぷりきゅあ!第16話「鏡石のふしぎ」


23話

鏡石神社と供養の像、遠吠神社について
七夕と鏡石、願いが叶うという共通点

動物の石像(供養像)と遠吠神社について
羊、鶏、ウサギ、熊、犬、猫

烏丸
「昔この辺りに住む人たちが亡くなった動物の供養に置いたそうだよ」
「ここだけじゃなくて山奥にもあるんだよ、狼の石像が……遠吠神社に」
こむぎ
「遠吠え?」

「狼や犬が遠くに向かって吠える声のことだよ、仲間への合図とか意思疎通のためだと言われている」

烏丸
「昔この辺りの山には狼がたくさん住んでいて遠吠えがよく聞こえてきたそうだけど」

「狼は100年余り前に絶滅したと言われている」
「かつて狼は数多く棲息していた」
「だけど、人間が狼を狩った事で大幅に数を減らした」
「さらに伝染病が流行ったり住む場所が少なくなったり、さまざまな原因が重なって絶滅、つまり一匹もいなくなってしまったんだ」

わんだふるぷりきゅあ!第23話「願い事はワォ〜〜〜〜〜ン」

29話

ガオウについて、ニコガーデン信仰について

ニコ
「かつて狼の群れを率いていたリーダーだよ」
「ガオウは暗く深い闇の力を持ってて、ニコガーデンの子たちを次々とガルガルに……」
「ニコはガルガルを卵に封じたんだけど力が足りなくて黒い卵になっちゃったの」

わんだふるぷりきゅあ!第29話「はじめましてニコ様!」

狼と人間の対立について

トラメ
「人間はオイラたち狼を危険な獣だと決めつけて攻撃してきた」

わんだふるぷりきゅあ!第29話「はじめましてニコ様!」

30話

鏡石と伝説の真実について

ニコ
「これ(鏡石)は昔、私(ニコ)が置いたもの、ニコダイヤのカケラです」
「動物たちが人間と仲良く暮らしたいという願いを叶えるためでした」
「しかし、身勝手な人間たちがニコダイヤの力を独占しようと動物たちを追い払ったのです」
「狼を絶滅させたのも人間。狼たちの怒りは最もですがなんとか鎮めなければ」
「伝説のプリキュア、その力がニコダイヤから生まれるとは、しかも人間と動物が手を取り合って」
「ですが、彼女たちに狼たちの怒りを鎮める事ができない様であれば力を返してもらわなければ」
「プリキュアの力はニコダイヤから生まれたもの。ニコダイヤが本来の輝きを取り戻せば、私がガオウともう一度向き合います」
「すべては動物たちの幸せのため」

わんだふるぷりきゅあ!第30話「わんだふるなキャッスル!」

ガオウと人間の関係について

ニコ
「元より彼女たちにガオウの怒りを受ける義務はありません」

わんだふるぷりきゅあ!第30話「わんだふるなキャッスル!」

考察

以下は劇中描写を踏まえた考察となります。

鏡石と鏡石神社、伝説ついて

ニコ様が動物たちのために設置した鏡石ですが、その力を欲した人間たちによって動物たちは追い払われてしまい、悲しんだニコ様によって鏡石の力は失われてしまいます。
その後、この悲劇は人間たちによって書き換えられ、「動物同士が争うようになり鏡石は力を失った」という伝説として残ることとなります。

鏡石神社が出来たタイミングについては本編では触れられていませんでした。
推測ですが、この伝説を書き換えたタイミングで鏡石神社が建立されたのではないでしょうか

鏡石神社は、鏡石を御神体としてお祀りしていることが推察できます。
古代神道では山や滝や岩など、人がどうやっても生み出せない自然の産物を御神体としている神社は数多く存在します。
鏡石神社は社殿は鏡石と別にあるようですが、現在でも境内に御神木をお祀りしている神社は数多くあるので、イメージ的には御神木ならぬ「御神岩」と言えば伝わりやすいでしょうか?
また、「鏡石」という名称も重要だと考えています。
1話では悟くんが「太古の昔、鏡は儀式に使われてた」と触れていましたが、実際に古代から鏡は祭祀に用いられており、日本神話においては天照大神の象徴として「八咫鏡」が登場します。
当時の人間たちがニコ様を感知できていたかは不明ですが、人間たちにとって鏡石は「人智を超えた(神様からもたらされた)、鏡のような岩」であり、御神体とするには十分な格があったと思われます。

ですが、そんな鏡石は元々動物たちのためにニコ様がこの地に置いたもの。
御神体が無理やり動物たちから奪いとったもの、というのはあまりにも正当性がありません。
昔のアニマルタウンの人間たちは「人間たちが動物たちを追い払い」奪い取り効力を失った鏡石を「動物同士が争った」からと書き換え、「動物たちが争ったせいで効力を失った鏡石は人間の手にあるのが相応しい」と自分たちが鏡石を所持していることを正当化したのだと思います。
その上で、書き換えた伝説を「正しく」伝えるための後付けの証拠、もしくは「装置」として鏡石神社を建立したのではないでしょうか。

ただ、鏡石神社には動物の供養像のある社殿が本殿とは別に設置されています。
お地蔵さんのような像を作ったり、「供養」という単語からどちらかといえば仏教っぽく見えますが、神仏習合した神社はよくあるので、鏡石神社も歴史の中でさまざまな信仰と結びつき、境内に供養像を祀った社殿ができていてもおかしくはありません。
そして、社殿を建てて供養が続けられているということは、アニマルタウンに亡くなった動物を思いやる気持ちが根付いていると言えるでしょう。
アニマルタウンはかつて動物たちから鏡石を奪い、狼が絶滅してしまった悲劇の地ではありますが、そういった行いをしてきた人間たちがいた事実もあれば、昔から動物の死に心を痛め、この街を動物を愛する街にしてきた人間がいたというのもまた事実。
ニコ様や狼たちにとっては昔と変わらない人間に見えているのかもしれませんが、いろはを始め今のアニマルタウンに住む人たちを見てどう思うのでしょうか……。

ニコ様とニコガーデンについて

ニコガーデンの主のニコ様ですが、なんとなくモチーフは天照大神なのでは?と考えています。
ニコ様がアニマルタウンに鏡石をもたらしたのは30話で語られていましたが、先述の通り日本神話にも天照大神と八咫鏡が登場します。
日本神話では、天照大神はスサノオの狼藉に耐えかね、天岩戸の奥に閉じこもり、世界は暗闇に包まれてしまいます。
神々は天岩戸の前でどんちゃん騒ぎをして、笑い声を不思議に思った天照大神が出てくるのを待つのですが、この時に天照大神の姿を映したのが八咫鏡と言われています。
その後ニニギノミコトが葦原中国(人間が住む世界、要するに今の日本)に降る際、天照大神は自分自身と思うようにと八咫鏡をニニギノミコトに託し、その後、八咫鏡は伊勢神宮に祀られることとなります。
鏡石も、ニコ様が希望を持ってアニマルタウン(と呼ばれる前の場所)に託したニコダイヤのカケラで、紆余曲折はありましたが鏡石は人間に御神体として祀られることとなり、ニコ様は伝説の中でも「神様」と称されています。
また先述の天岩戸の神話の中では、天照大神が天岩戸から出てくると世界に光が戻ったとされています。
ニコ様が卵の状態で(殻に篭って)復活したのも、陽が登る中ニコ様が卵から孵ったことも天岩戸を意識しているのではないでしょうか。

わんだふるぷりきゅあ!第29話「はじめましてニコ様!」より
玉音放送だからね

ニコ様が天照大神だとすると、ニコアニマルやキラリンアニマルが住まうニコガーデンは高天原ということになります。
日本神話において様々な神々の住む地とされる高天原ですが、その神々は天皇や豪族の祖先ともされています。
なので、ニコアニマルやキラリンアニマルについては、人間界で祀られた、今の動物たちの祖先なのではないでしょうか。
鏡石神社で動物を供養しているというのも、高天原に住まう神々と人間界の神社の関係みたいですね。
(ニコガーデン=天国でアニマルたちは天国へ行った動物なのでは?というTwitterで見た説と近いものはあると思いますが、個々の亡くなった動物というよりも種族そのものの祖先がたくさんいる、というイメージです。
また、天国よりももう少し「死」が意識されていないような空間のような印象です。
ニュアンスの違い程度かもしれませんが、基本は神社と神道って死を穢れとして遠ざけるものなので……)

ちなみに。
天岩戸に隠れていた天照大神の姿を映し、天照大神の御神体とされる八咫鏡ですが、サッカーとか某カードゲームが好きな方なら「八咫」というワードにピンときたかもしれません。
たぶん「八咫」ときたら、「八咫烏」を思いつく方が多いのではないでしょうか。
神武天皇が今の近畿地方周辺を平定した際、行く道を導いたとされる八咫烏ですが、鏡石神社の神職の家が「烏丸」なのってそういう所から来てるのかな?とも思っています。
30話のこむぎのセリフと共に動物のことを考えてくれている人間たちを描いた場面で、プリキュア組を除くと悟くんや大熊ちゃんと並び蟹江ちゃんを差し置いて烏丸ちゃんが描かれている場面もあり、もしかしてこの後もう少し本筋に絡んできたりするのかも、いやむしろもっと出てきてほしいな……と若干期待しています。
ここで出てくる人たちは今までこむぎと特に仲良くなったりお当番回があったキャラたちなので現状お当番回がなく掘り下げがあまり触れられてない蟹江ちゃんが出てこなくてもまぁ仕方ないのですが、烏丸ちゃんは特にこむぎと仲がいいとか、他の動物との描写はなかったので、やはり特殊な何かがある子なのかな?と思っています。トランクとかメエメエに頼らずニコガーデンとやりとりできる人間だったりしませんか?

わんだふるぷりきゅあ!第30話「わんだふるなキャッスル!」
い、猪狩!?

遠吠神社について

山奥で狼を祀っており、狼たち(ガオウ一行)が拠点としている遠吠神社。
遠吠神社のことを知っている描写があったのは烏丸ちゃんだけだったので、街に住んで長いいろはや悟くんもおそらく存在自体知らなかったのだと思います。
場所としては「山奥」とだけ言われていましたが、11話(見晴山に登る回)でガオウが熊のガルガルに語りかけていました。これはガオウと物理的に距離が近いから力が弱まっているガオウでも直接ガルガルに語りかけられたのではないでしょうか?なので、場所は見晴山周辺のどこかと考えています。
悟くんはこの回でも遠吠神社には言及していなかったので、本当に知らなそうです。悟くんの知らないことが恋愛以外にもあったなんて……。
ちなみに11話では「祠」も出てくるのですが、これはあまりどちらの神社とも関係がなさそうですね。

さて、遠吠神社ですが、その姿は鏡石神社とは対照的に描かれています。
23話では七夕祭りもあり、鏡石神社は多くの人で賑わっていましたが、29話で描かれた遠吠神社の境内は雑草や苔が生えていたり、社殿も綺麗ではなく、日中でも人がいるような描写もありませんでした。
山奥とはいえ石階段は立派に見えましたし、境内もそれなりの大きさがあるようには見えたので、日中でも神職がいないというのは考えられませんが、掃除等の整備が行き届いていないというのは、しばらく人が来ていないという証拠でしょう。
日中に神職がおらず烏丸ちゃんだけが存在を覚えていたのは、もしかして鏡石神社の別社なのかというのも考えましたが証拠がないので一旦保留。
やはり遠吠神社は、鏡石神社と対になる、もしくは一緒にしてはいけない祈りの在処なのだと思います。

烏丸ちゃんは鏡石神社の供養像の話から遠吠神社の話に繋げていたので、遠吠神社は供養像と同じく狼の供養のために建立されたのだと推測できます。
狼を追い詰め滅ぼした人間たちとは別に狼を供養しようとした人間がいたのか、滅した人間の手によって、罪滅ぼしのような意図で建立されたのか、
もしくは、強大な力を持った狼、つまりガオウの魂を鎮める(抑えつける、封印)ためのものだったのか……。
いずれにせよ人間側から狼への贖罪のかたちであるのは間違いないと思います。

しかし、月日は流れ、狼たちを滅したというアニマルタウンの人間たちの行いは、悟くんが語ったような「歴史の一部」となってしまいました。
その中で遠吠神社は山奥に忘れ去られ、神社に対する信仰、つまり人間の狼に対する供養の気持ちや罪の意識も風化してしまいました。
ガオウはこれを人間への復讐の好機と捉えたか、人間の信仰の薄れにより封印(的なもの)が弱まったか、このタイミングでガオウは目覚めることとなります。
人間サイドの遠吠神社に対する信仰心や、その元となった贖罪意識の薄れと関連してガオウが徐々に力を取り戻し、復活したのではないでしょうか?

ガオウと狼たちについて

かつて狼を率いていたボスのガオウと、その仲間のトラメとザクロ。
個人的には29話でガオウがトラメとザクロを「しもべ」ではなく「仲間」と呼んでいたのが印象に残っています。
もしかしたら上下関係のない群れの中でみんなから慕われていたタイプのリーダーだったのかもしれませんね。

16話では、「もっと人間と仲良くなりたいと望」み、「人間と話せるようにしてください」と「神様にお願い」した動物がいたという鏡石の伝説が語られる場面で、狼のようなシルエットの動物が表れます。
鏡石をもたらした「神様」がニコ様というのは30話でニコ様自身から語られましたが、「人間と話せるようにしてくださいとお願いした動物」が狼であるとするならば、人間に対して憎しみを抱くよりも先に、仲良くなりたいという気持ちがあったことになります。
ですが、実際は人間によって滅ぼされ、その滅ぼされたことすらも忘れ去られ、ガオウの怒りは「幾星霜の時が過ぎようと」消えないレベルにまで達してしまいます。
トラメはプリキュアたちに「人間はオイラたち狼を危険な獣だと決めつけて攻撃してきた」と語っていました。
このことから「狼たちは鏡石の奇跡によって人間と話すことができるようになったものの、人間たちは狼との対話を拒絶し、絶滅に追いやった」「狼は人間の手によって遠吠神社に祀られたが、ガオウの怒りは消えることなく、逆に人間たちの狼に対する供養や贖罪意識は薄れていき、今に至る」と考えるのが無理ない気がします。

怒れる魂だったガオウがどのようにして闇の力を得たかという点についてまだ明かされていませんが、狼たちのの思念的なものが集まったのか、人間に祀られる事で神的な力を得たのか、シンプルに怒りにだけでああなったのか、もっと後ろに力を授けた大ボス的なものがいるのか……。
個人的にはここまで信仰に結びついたストーリーであれば「人間に祀られる事で神的な力を得た」であればいいなと思っていますが、根拠が少ないなと思うので自分の願望に過ぎませんね……。

残っている疑問点

ここまでニコガーデン(ニコ様)と狼(ガオウ)について考察を交えて整理してきましたが、疑問点があります。

人間とニコガーデンの間にはプリキュアがニコガーデンを救うという協力関係があるものの、過去に鏡石を独占しようとした人間たちの件もあり、ニコ様自身はいまだに人間を完全には信用していないように見えます。
狼たちは言わずもがな絶滅に追いやられたという深い怨恨があるため、ガルガルやガオガオーンを使って人間界に攻撃を加えています。
では、なぜニコ様とガオウは対立しているのでしょうか?
元はと言えば狼の祈りに応えてニコ様が鏡石を設置し、言葉を話せるようにしたのに、です。
「元より彼女たちにガオウの怒りを受ける義務はありません」という30話のニコ様のセリフはおそらく「問題はすべて過去の人間が起こしたことなのに」という前置きがつくもの、と思っていますが、もしかしたらニコ様も「ガオウの怒りを受ける義務」が自分自身にあると考えているのかもしれません。
ここから考えられるニコ様と狼の対立の原因は、以下が考えられます。

①ニコ様に対するガオウの失望
人間と話せるようになったのに、人間たちは自分たちを分かろうとせず、今まで通り攻撃してきた事に対する失望、怒りが人間だけでなく、話せるようにしたニコ様にも向いた。

②人間と話せる様になったからこそ攻撃を受けた
人間と話すようになり、狼たちは仲良くなれると思ったが、そんな狼を気味悪がったり、賢くて凶暴な獣という扱いでより人間は攻撃的になっていった。
結果的ではあるが絶滅の発端となってしまったニコ様への怒り。

……こんなところでしょうか、どれも根拠が薄くて、②なんかは飛躍しすぎかもしれないですが、今の所の(自分が拾えている)材料で考えたらこの辺が限界でした。
まだ語られていない部分も多くあるので、一旦こうじゃないか、ということで提出させていただきます。
後半に突入しどんどん面白さが加速しているわんぷりですが、今後どの様なストーリーを辿っていくのか楽しみですね。

どこに入れるか迷った話

鏡石伝説が語られる16話と七夕祭りの23話を度々引用してきたのですが、どちらもプリキュアの両親にこむぎ(とメエメエ)やユキが話せたり、人間になれることがバレる回でもあります。
「動物と人間が話せるようになった結果、動物同士の仲が悪くなり(実際には人間が動物を迫害したのですが)鏡石が力を失って動物は話すことができなくなった」「人間が狼を絶滅に追いやった」という悲劇が語られる回であり、(表向きには人間は悪くないことになっていますが)人間の動物に対する罪が語られる回なのですが、とても小さい単位ではあるものの「人間と動物が話せば分かり合えるし、ずっと一緒にいるなら姿形が変わってもその仲や関係性は変わらない」という、今までの悲劇をこむぎやユキは乗り越えている描写を、シリアスさを抜きにして入れてくるのが素晴らしいなと思いました。
(16話ではしんちゃんとシロにもバレていますね)

おわりに

ここまで長々と、考察とは名ばかりのオタクの妄想にお付き合いいただき大変ありがとうございました。
読み返して「だと思います」ばっかだな、とか結局宿題残ってるじゃんとか色々あると思うのですが、シンプルに得意分野というか守備範囲(神道とか日本神話とか)にいいボールが飛び込んできて夢中でキャッチしている間にこうなってしまいました。
改めてですが、当記事を読んでご意見、ご指摘、ご感想、俺と考察バトルしようぜのお誘いなどございましたら、TwitterBlueskyまでお願いします。Twitterは日常ツイート多め、Blueskyはプリキュアのしょうもなセンシティブ発言ばかりでやらせてもらっています。
また何か思いついたら更新しようと思います。それでは。


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