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2020/11/17 一週間

なんとブログを毎日書くのを続けて一週間が経過した。
偉い。偉すぎる。
前にも書いたと思うけど、生粋の飽き性で昔から熱しやすく冷めやすいというどうしようもない性格を抱えて生きているだけあって、誰かに強制されるでもなく自分の意志で毎日やることを一週間続けているのはとてつもなくすごいことなのである。
や、マジで褒めて欲しいできればTwitterのリプライかDMで

結局のところ自分が続けられるものって、無理なくできて楽しくて人に評価されるものなんだなぁって改めて思った。人に見られたいから何かを始めているワケでは決してないんだけど、多かれ少なかれ見る人がいて評価が自分に返ってくるというのはどうしようもなく嬉しくて、やっぱりモチベーションにもなる。数字の話になっちゃうけどアクセス数も増えてるし、やってて目に見える具体的な評価ってどうしても指針にしちゃうよね。嬉しい。ふふ。

ブログを書くことに自分が感じている良さは「褒められること」以外にもちろんあって、その一番大きなものは「心をフルに使って自由に書けること」だと思う。
仕事が本格的に始まって以降、各所に波風を立てないようにメールを書いていろんな人にお伺いを立てることが増えてきた。
やっぱりそういう目的でキーボードを叩いても、心というものをなくして機械的に文を書くことが多いから表現にも困るし、それで人を怒らせても疑問に思わせてもいけないから「完璧な文章」を書かないと……と思ってしまう。
パソコンを使って文章を書くのが好きなぶん、好きな文が書けないのはなんだか苦しくて窮屈で嫌に感じてしまう。

そのぶんこのブログはある程度は自由に好きなものを好きなだけ書けて、それで一定のフィードバックが得られるからめちゃくちゃ好き。
仕事で文章を”書かされている”のに対して、能動的に”書いている”のが実感できる。ある意味デトックス的な面があるんだろう。

そういえばCreepy Nutsの武道館でR-指定が「俺にとってはラップがセラピーで、みんなもラップじゃなくても表現することがセラピーになるかもしれない」というようなことをMCで言っていた。

現地でこの言葉を聴いていて、「あぁ、舐達麻のBADSAIKUSHも似たようなことを言っていたなぁ」と思った。
(書き起こしも面倒なので次の動画を3分ぐらいまで見てMCを聴いて、その後でちゃんと曲も聴いて欲しい)

どんな形であれ自分の心の中や考えていること、どうしようもなく抱えていることを昇華して表現することは全員がしたほうがいい、と、かたやオーバーグラウンドのカリスマで、合法的トビ方ノススメのラッパーが言っていて、かたやアンダーグラウンドのピカレスクがジョイント片手に言っている。
それぞれが進んでいる道は似ているようで交わることはなさそうなのだけど、同じ境地にたどり着くのは何かを表現し続けた人であるからこそなんだろうなぁ、と思った。
自分にとってはブログが唯一の表現の場なんだろうけど(いやTwitterとかInstagramもそうか?)こういう場で文章を書くことが、決して芸術の域には達していないだろうけども、自分にとってはものすごく大切にするべきことで、続けていくべきことなのだと思った。「俺にはこれがあるから」って。

今日は遠くから友達が来てたから渋谷のレコード村で飲んでいた。
お酒もおでんも美味しかったけど炙りしめ鯖が最高だったよ。是非に。

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