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2021/2/12 夜に駆ける(しかないので)

YOASOBIのボーカルは可愛いと思う。

仕事が完全にテレワークになってからめっきり陽の光を浴びる回数が減った。
仕事が捗らないのは会社に行っていた時からそうなのだけど、てっきり「通勤で消耗するから」だと思っていた。実際電車に乗って会社に行くのは体力を使う。朝早く起きないといけないのも消耗の原因だ。コロナという「天災」で通勤という文化が絶対視されなくなったのは良いことだと思うけど、今では地下鉄の階段を登るたび出口から差し込んでくる、眩しくて忌々しかった太陽が恋しくて仕方がない。

最近は仕事が終わった後、ちょっと寝てから長めに歩いて、適当にレコード屋とか本屋を見たり、ちょっとした買い物をする事が多い。いや意識的に増やしている。
テレワークだとどうしても運動量が減ってしまうから、焼け石に水程度でも運動しないと……というのと、気分転換にでもなればと思って散歩をするのだけど、日が暮れてから2時間散歩するのと、お昼に食事がてら30分だけ外出するのだと圧倒的に後者のほうが気分転換になる。
日光に当たっているのがいいのか、30分という時間がいいのか、仕事の合間に挟まっているのがいいのか、美味しいモノを食べるのがいいのか……、どれが心に効いているのか分からないけど、「あ〜なんか外出たなぁ」という気持ちになる。

やっぱり明るいのが良いのかなぁ、昼間の太陽は街灯の比じゃなく明るくて、ギラギラしてなくて気分がいいし、最近はお店も夜にやってなくてより暗くなってる気もする。あと夜、寒いし。
そりゃ無惨様も太陽の下を歩くために1000年ぐらい人間と戦うよ。むしろ鬼になっても太陽に当たれていたらあんなにカリカリしてないと思う。最近出たファンブック読んだらそんなレベルじゃなく極悪人だったけどね。

それでも夜に長めに外をほっつき歩いてしまうのは、ルーティン化する日常に抗いたいと思っているからだ。
出社するのは大変だったけど、仕事が終わったらいくらでも寄り道しながら帰っていたし、友達と食事や飲みに行ったり、ライブに行ったり、軽めの非日常がいくらでも転がっていた。
家で仕事が終わってから「外出するために」外に出るのと、帰りのついでにどこかに寄るのだと圧倒的に「ついで」の方が気分が楽なのだ。「日常」のド真ん中である仕事が終わった解放感もあって寄り道しがちだったように思う。

「日常」を引き剥がす速度の楽しさについては旅行の時に書いたけど、今になって思うと引き剥がされる「日常」にも、ゆっくりだけど速度が存在していたんだな、と思う。今は同じ所に止まり続けている状態のものを無理やり動かしているような感じがする。

ちなみに今日は外に全く出ずに、食事も全部有りものと宅配で終わらせた。時速2センチぐらいの非日常が訪れたような気がした。

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