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2020/11/12 前略

Creepy Nuts
R-指定様
DJ松永様

ワンマンライブ、お疲れ様でした。
このようなご時世の中、ギリギリまで観客の安全を考え、決して簡単ではないだろう2日開催でライブを行ってくれたこと、非常にありがたく思います。

思えば今年の春、「武道館でワンマンライブを行う」という告知があった時、俺は「とうとう武道館か!」となぜかこちらが奮い立つ気持ち、「ご時世が良くなっているといいな」という不安な気持ちと共に、「だろうな、やるよなそりゃ」と言いながらも口角が上がってしまうような誇らしい気持ち、そして何より「武道館」という箱に対する因縁めいたものを感じていました。

少し俺の話をさせてください。

大学を受験する1年と少し前でしょうか、周りが自動的に「受験」という大きな目標に向かって努力を始めた頃、俺は漠然とした実感すら持てず、大して勉強もせず日々を浪費していました。
その頃に俺は「アイカツ!」というアニメに出会います。
小気味のいいテンポの会話劇と素晴らしい音楽、そして何より「夢に向かって努力を重ねること」という、人間が生きている上でどこかで必ずぶち当たり、超えていくであろうものを見せてくれました。
最高の形ではなかったものの大学合格を果たし、俺は大学生になることができました。
あの頃俺が見ていた「アイカツ!」は、確実に俺の中の支えであり、癒やしであり、救いでした。

時は流れ、周りが自動的に「就活」という大きな目標に向かって努力を始めて、それが実りだす頃。
俺は漠然とした将来像すら持てず、大した努力もせず日々を浪費していました。
その頃に俺は、あなた達のラジオに出会います。
小気味のいいテンポ感の会話とくだらないネタの応酬、松永さんの力の入ったメール読み、Rさんの確かな知識に裏付けられた日本語ラップ紹介と、どれを取っても新鮮に感じ、その時期一段落してしまった「アイカツ!」や活動休止、解散してしまったアイドルと入れ替わるようにのめり込んでいきました。
あなた達のラジオへの熱は、卒業間際のギリギリで滑り込むように就活を決めた後も続きました。
好きなものを仕事にしたと思ったら、どうしようもない現実にブチ当たった時、上司と会社の雰囲気が嫌で仕方なかった時、休みの日に突然鳴る電話に怯え、マトモな気持ちで遊べなかった時、それでもどうしても好きなものを諦めて、仕事を辞めると決めた時。
心に鉄の仮面を被って、無理やりにでも体を動かさないといけないぐらい追い込まれていた時期には、あなた達のラジオをリアルタイムで聴くために仮眠を取って3時前に起き、5時前に寝て8時半に家を出るような生活をしていたこともあります。
支えというか、依存ですよね。笑ってください。
でも、俺はあなた達のラジオを聴いている時だけは、仮面を外して、人間の顔で笑えていたと思います。
幸いにもイヤホンをしていても問題ない仕事だったので、就職と同時に始まったお昼のラジオもよくリアルタイムで聴いていました。
不良社員だったので、ラジコでこっそり聞きながら仕事用のメールアカウントを自分のアカウントに切り替え、テーマメールも送っていました。
自分が落ち込んだことを投稿したら、松永さんに「そんなことでいちいち落ち込んでたら舌噛んで死ぬぜ!」と言われたこともあります。
その時は「苦しみなんてあるかないかのゼロイチだろうよ……!」と思いましたが、「世界一のDJも乗り越えた苦しみ」なら、俺にもいつか咀嚼できる日が来るのかな、と思えました。
頂いた年賀状は自分の墓まで持っていこうと思います。

ラジオだけじゃなく、あなた達の音楽にももちろんハマっていました。
最初に聴いたのは「フリースタイルダンジョン」が始まった直後、ダンジョンライブで「合法的トビ方ノススメ」の歌詞を一部地上波用に変えて歌っていたものでした。
ライブに行くのはそれからしばらくして、ラジオを聞き始めて以降でした。ワンマンも、ラジオのイベントも、2マンもフェスもサーキットも学園祭も、どれも楽しかったです。
「HIPHOPの好きな所は誰かの人生に自己投影できること」とRさんはおっしゃっていましたね。
まさしく俺も自分をRさんの歌詞に投影しながら、ライブで沸き、歌詞カードを読み、ラジオとのギャップを楽しみ、あなた達にハマって行きました。
ご時世がひどくなる直前の横アリのライブのラジオ音源は、未だに涙なしには聴けません。

長くなってしまいましたね。

さて、そんなあなた達が春に武道館ライブを発表した時、俺は就活も思うようにできず、そもそも世の中全体が真っ暗で、漠然とした不安感に包まれながら日々を過ごしていました。
「先に希望を持っておくことは、決して悪いことじゃない」
松永さんがお昼のラジオで武道館の告知をした時おっしゃっていましたね。
俺にとってこの武道館ライブはまさしく希望で、短い間でも生きていくための目標になりました。
目標というよりは「あの電柱まで頑張る」のようなものかな、とも思いますが、とにかく先に何か楽しみがあるということはいろいろなことのモチベーションになりました。
結果的にライブ直前にギリギリで初任給を貰えるぐらいの時期に就職し、社会人として生きています。
今こうして「社会人」という形を保てているのは、あなた達のお陰です。

就職から仕事を辞めて、このご時世下でまた就活した時期を支えてくれたあなた達と、受験期に支えだった「アイカツ!」。
俺が「武道館に行くまで」を見られたのは、この2つだけなんです。
こんな偶然あります?どちらも行くべくして行ったとは思うので、偶然ではない、とも言えますが。
「何かに支えられて生きている」と公言することに恥ずかしさがあるのですが、今からしたら間違いなくこの2つには言える気がします。

R-指定様
「ラップで何かを表現することが俺にとってのセラピーで、みんなもそういう何かを見つけられたら生きやすくなるかもしれない」とおっしゃっていたRさん(ライブ中の記憶なので曖昧ですが、俺にはそう聞こえました)。
実は俺も最近セラピーを見つけられました。
自分の頭の中を文章として整理して、ブログにして世に出すことです。
「何かを表現すること」について、まだ若干恥ずかしさは残っていますが、ブログぐらい「俺は」を出せるように書いていこうと思えました。
それでも、どうしても何かに詰まったり、どうしようもなくなったら、またRさんの歌詞に自分を投影して、生きていこうと思います。

DJ松永様
「生々しく生きていこう」と若林さんに誓っていた松永さん。
俺はあの時、松永さんが一番人間だったと思っています。
「えっ今泣く!?」という驚きと、それによる笑いは確かにあったのですが、俺はいつもラジオで吠え、テレビで吠え、DJをやらせたら最高にかっこいい松永さんが初めて俺に人間を見せてくれたような気がして嬉しかったです。
そういえば「涙をこらえすぎると口の中がしょっぱくなる」って本当だったんですね。帰りの電車で知りました。
俺は松永さんに「借りているもの」が多い、と勝手に感じています。
音楽も、ラジオ趣味もそうだし、ターンテーブルを買ったのもそう、この記事の書き方だって、記事のタイトルにした曲もそうです。

正直に言うと、俺はあなた達に憧れています。
あなた達みたいに何か一つ熱くなれるものがあって、カッコよくて、話せば面白いような人になりたいな、と思っています。
あなた達が曲を書き、武道館に立った人たちは30歳で世に出ました。
あなた達は30歳前後で武道館に立ちました。
何年後か、武道館に立つことはなくても、何かに熱くなることを恥じずに、何かに熱中して、何かに没頭して、何かに自信と誇りを持って立てるような人間に俺はなれているでしょうか?
あなた達の音楽に、言葉に、ラジオに救われながらここまで来れたので、迷ったらまたあなた達に聴いてみようと思います。

大きい仕事を終えた後は気が抜けて体調を崩すとよく聞きます。
季節柄のものもあるでしょうし、ご時世も全く良くなってはおりませんので、どうか健康に気をつけてお過ごしください。

草々

令和2年11月12日、Creepy Nutsワンマンライブ「かつて天才だった俺たちへ」の日に

鍵!(RN:パニックステーション)

P.S.
本日の武道館、「アイカツ!」で知り合った友達と行かせてもらいました。
延期になっている「生業」の大阪公演も、「アイカツ!」で知り合った友人と行く予定です。
思いっきりライムスターと共演できる日が一日でも、一時間でも早く来るのを願っています。

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