2024/4/9 Terminal
「推しは推せる時に推せ」という言葉が嫌いだ。
自分の好きな気持ち、会いたい気持ちと限りがある個人のリソースとの折り合いをつけて、行ける時に好きな場所に好きに遊びに行っているだけなのにやたらと「推すことが正しいこと!」と煽られているようで余計なお世話だし、どれだけ会いに行っていたとしても、それがなくなった時の悲しみは計り知れないだろう。
むしろ推せば推すほど、推しが解散、卒業したときの悲しみも、その人の中では大きくなっていくかもしれない。
「もっと会いたかった」「もっと話したかった」という意味で「あまり推せなかった」と思うことはあるかもしれないけど、「推しを推せる時に推した。だから満足!」なんてことはなく、悲しさや寂しさや後悔に折り合いをつけて「推しがいない世界」を歩んでいくしかないのだ。
(これに関してはフォロワーが言語化してくれていたので、勝手ながら出典を明記しておきます)
カラフルでキラキラした王道系っぽいアイドルは、あんまり好きじゃない。
というか「多分ハマらないな」と思って食わず嫌いしている。
もはや何が王道で覇道で邪道なのかわからないし、音楽にジャンルを当てはめるのもナンセンスなのかもしれないけど。
自分がアイドルにハマっていた6〜7年ぐらい前から「曲が違っても似たような曲ばっかだし、タイガーとかファイヤーとかやってることもだいたい一緒だし、だったら妄キャリでいいな」と思っていたし、それは今でも変わっていない気がする。
これに関しては単純に初めて面白いと思ったライブアイドルが妄キャリ(とでんぱ)で、そこでライブアイドル現場の沸き方のカオスさに初めて触れたから、どうせ似たような楽しみ方なら「オリジナル」でいいじゃんという気持ちがあった。当時は妄キャリが終わることも、でんぱの体制がガラッと変わることなんて考えさえもしなかったので、他のそれっぽいアイドルは全然見てなかった。
そういった既知のカオスを超えるカオスがあったゆるめるモ!やゼアゼア(ベルハー)は面白くて楽しいと思ってライブに行っていたし、そういうカオスさがなくても歌とパフォーマンスのパワーでねじ伏せてくるベビレには全面降伏みたいな気持ちでハマって、ライブに行くようになった。
buGGには後者のハマり方をしたなと思っている。
最初のほうこそ偶然で、たまたまずっと見てたくなるような人がいたから現場に足を運んでいたけど、曲を聴いていくうちに「これは……?」みたいな感覚が出てきて、リキッドルームのワンマンで確信に変わった。
暑苦しくて泥臭くて真っ直ぐな人たちが暑苦しくて泥臭くて真っ直ぐな曲で胸ぐら掴んで心を揺さぶってくる。そんな感じ。
もしかしたらたまたま最初にそれに気づけたのがbuGGだっただけで、世の中には他にそういうグループがあるのかもしれないけど、多分今の自分にそれを問うても「だったらbuGGがいいじゃん」って言う。
いや、他と比べていいとかじゃなくて、絶対にbuGGがいい。
ラストソングというものが苦手だ。
嫌いじゃない。たぶん好き。だけど、苦手だ。
単純にお別れの事を考えなきゃいけないから悲しいし、解散するという色眼鏡を掛けて曲を聴いたりライブを見ることは失礼なんじゃないか、そういうことばっかり考えてしまう。
「解散だけどそれを感じさせないくらい楽しいライブをします」ってメンバーが言ってくれていたから、なおのこと。
……って思っていたんだけど、最後の大阪遠征の時に見に来てくれた、buGGをあんまり見てないフォロワーが「最後の曲、今までの曲の振りが入ってる?そういう文脈のある曲いいよね」って言っていて、ここまで歩んできたから伝えられる事も、最後だから伝えたい事も初見でもちゃんと見ている人には伝わるんだ、そう気づいた時に「解散ブースト」という言葉の呪いが解けたような気がした。
ラストソング、やっぱり聴きたくないかもしれない。でも、大好きな曲。
Terminal、いい曲だよね。
TravelでTripでJourneyなツアーの合間に発表された曲ということもあって、旅の、そしてbuGGの歩みの終着駅の意味で書かれた曲であるのはもちろんそうなのだけど、本人たちが前向きに終わりを決めて、新しい道に向かっていく「始発駅」でもあって、本当にダブルミーニングが上手いなと思う。
「Terminal」の名前を冠するラストライブも、まさしく巨大なターミナル駅のごとく、渋谷クアトロは人でごった返していた。
ライブの中でも「『Terminal』はこれまでの終着点であり始発でもある」というのは凜ちゃんさんが触れていた。
そこまでのブロックでは解散という事を忘れさせてくれるぐらい楽しくて熱い、いつも通りのライブを見せてくれていただけに、やはりどうしてもあと数時間後、数十分後に迫ったbuGGの終焉という事実を改めて思い知らされるようだったけど、アカペラから始まった「Terminal」は、これまでのグループでの歩みがそうであったように、メンバー全員がこれから歩んでいく道を力強く踏みしめていくのだな、と感じさせてくれた。
フロアとステージを見渡してみると、何回か話した事ある人、話したことないけどよく現場で見かける人、全然知らない人、知り合いだけど全然違う現場にいる人、スタッフ、そしてbuGGのメンバー……こんなにもたくさんの人達が行き交っていて、あれだけ熱量のあるライブをしていたメンバーも、あれだけ熱量で返していたオタクももう全員で交わる事がないのだと思うと、そのそれぞれの行く先を束ねていたbuGGっていう存在自体が大きな「ターミナル」だったんじゃないか、とすら思えてくる、
普段ターミナル駅で待ち合わせして、いろんな人が集まって遊んで、たまに他の所からくる友達を案内してまた遊んで、遊び終わったら飲んで、そうやってたくさんの人が足を運んでいて、たくさんの人の人生の一部になっていたんだなと思うと、やはり人々が歩く道の交点、「ターミナル」という表現がしっくりくるような気がする。
終点で、始まりで、集合場所で遊び場。
ターミナル駅から終電に乗って帰って、また明日からも人生がまた流れていくことを考えると、名残惜しいけどどうしても終電には乗らないといけないし、物足りなくて、今日を終わらせたくなくて徹夜で遊んでも、結局どれだけ抗ってもいつかは帰らなきゃいけなくて、また一日が始まってゆく。
まぁ、自分は昨日終電なかったけど。笑
自分自身はそんなターミナル駅に行くのがだいぶ遅かったほうで、そもそもその駅に用事なんてないのにたまたま遠方から来た友達がいるから、ということで、ほぼ深夜ノリでライブに足を運んで今に至るワケなのだけど、こんなにもメンバーにもライブにも興味を持って現場に通うことは今までなかった。
単推し思考、というより1人に注目しちゃうと心のキャパがそっちだけに持っていかれてしまい、どのグループも結果1人しか見てない、特典会で話すもの各グループで1人というようなことが多く、実際今もそんな感じで心のキャパはめいちゃんでいっぱいなんだけど、ライブが楽しみで現場に通って、そのたびに推し以外にも確実に心を奪われる瞬間があって、頻度は低いけどそれなりに他のメンバーとも話しにいく、という現場はbuGGが初めてだった。
いつもライブが一番の楽しみだったし、最後の日までいい曲だな、いいライブだなと思わせてくれたbuGGのメンバーみんなに感謝しかでてこない。
そして、めいちゃん。
自分はもちろん、他にたくさんの人を幸せにしてきたと思うからあなた自身も幸せになってほしい、とは常々思ってはいたけど、最後の最後までずっと楽しく幸せにしてもらえていた。
最後に撮ったチェキの帰り際に「幸せに生きてね」って言ったら「鍵!もだよ!」って返してくれたのが最後の会話になっちゃったけど、その時の顔見れなかったのが心残りだ。
泣きすぎて顔が見れなかった。
めいちゃんも泣いてたけど、あの時だけは笑顔でいてくれていたら嬉しいな。
アイドルの活動は、そしてオタクがアイドルを推すことは、よく「青春」と形容されることがある。
学生時代からアイドルをしていれば、普通は部活や学校行事で得るはずの「青春」がそこにあるのだろう。
自分も友達とイベントで遠征に行ってみんなで同じ宿に泊まった時とか、ライブでフラスタを企画した時とか、ちょっと「っぽいな」って思った事もある。
「青春」を定義するのはとても難しい事なのだけど、自分の好きな小説の言葉を借りて言うならば「未来に楽しみの種を蒔くこと」だと思う。
テレビをつけたら部活入ってたスポーツの大会が流れていたとき。
街を歩いていたら文化祭で演奏した事のある曲が聴こえてきたとき。
学校の帰りに友達と寄ったお店の前を通りかかったとき。
「懐かしいな」でも「楽しかったな」でも、将来のふとした瞬間にプラスな気持ちになることができたら、それを振り返って「青春」なのではないだろうか。
そしてそれは、アイドルであってもオタクであってもやっていることは同じはずだ。
渋谷を歩くとき。
イヤホンから曲が流れてきたとき。
特典会で着ていった服をクローゼットから出したとき。
しばらくは寂しさがどうしても消えないと思うけど、いつか、楽しかったな、懐かしいなって思えるようになったら、きっと楽しみの収穫の時なのだろう。
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