やっと見直す
しばらく、いや、ここ2年くらい。
何かをしようとする度に、自発的な感情や意思より先に、義務感から動くことばかりだった。
期間限定のイベントが来るとなんとなくの義務感で走り、ストーリーは流し見。
イベ限のアイテムを限凸まで取る気がどんどん薄くなっていた。クリア報酬のサーヴァントは頑張って取ってきたけど、礼装まで気が回らなかった。
推しのランキングイベ、なんとかギリギリ走れる心情。でもやっぱり義務感。
アニメも見る本数が減った。定期的に配信される推しの動画もどんどん見なくなった。
なんだかずっと疲れていた気がする。
やるやらないは自由なのに、対外的な外面が多少たりとも気になってしまう。
実はドラマCDの一部は買って取り込んだっきりでまだ聴けていない。いくつあったかな、たしか、2つはまだ聴いてない。
Twitterは毎日見るくせに。
外からの情報がこんなに雑音のように感じるのは、苦痛で悲しかった。
新しいことはできる限り歓迎したいのに。受け皿がザルだから受け止めきれない。
そしたら、一昨年、目に見えて体を壊した。身体が悲鳴を上げた。
最初はずっと微熱が続いた(2020年あたりの社会情勢よりも前の話である)。頭、首、肩まわり、手足。寝る時間になるにつれてどんどん上がる体温。寝られない。解熱剤も1日しか効かない。でも、寝て起きたら次の日の朝には下がった。時々怠くもなった。
それが何ヶ月も続いた。病院にも何回か行った。原因が分からない。苦痛。
眠れなくて、スマホ見続けた。眠れない。負のサイクルがどんどん回る。
終いには、文字が読めなくなった。読むと頭が痛い。文章はおろか、文字の意味が分からなくなった。こんなにも文字や情報が大好きなのに。読めない。苦痛。
そうしたら。
眠ったらそのまま目を覚さなければいいのに、と思うようになった。毎晩、毎晩、毎日毎日毎日。
その次は、起きれなくなった。眠れなくて、起きれない。眠れなくて次の日は遅く起きてしまう(大学4年で時間がルーズになっていた)。12時、14時、16時。ひどい時は日が落ちてからようやく体を起こせた。
食欲も減った。いい時は2食、ひどい時は0.5食。何か食べられればいいと思っていた。食べなさ過ぎて胃腸の不調が何度もあった。でも、少し安静にしたらおさまったから、そのままにしてしまった。時々変な口臭がした。嫌な記憶と結びついた臭いだと思いこんでいた。ただのフラッシュバックだと思った。
文字に起こしたら本当にひどい。だけど、当時はこれでも大きく目に見えて体調不良でないから、まだ大丈夫と思い込んでいた。実際はそんなことないのに。これはルーズなだけで、食欲もある。予定があればそれに合わせて起きることもできた。これが一番自分はまだ平常と思い込んだ原因だと思う。それ以外では起きられなかったくせに。
誰にも相談できなかった。周りは就活、私は進学。ペースが合わなくて、なんとなく避けられてる気がしたし、私も私事で話をすることをなんとなく避けた。親とは離れて暮らしてる。
というか、話したところでなんの解決にもならない。ただ重苦しい話を聞かせるだけである。なら、別にいいや。
結局、詳細はまだ誰にも話せてない。話すつもりもないけど。
それが2019年の春から秋の話。夏が一番気が狂っていた時期だった。秋にやっと回復しつつあって、冬は時々その時の症状が出る時もあったけど、段々治ってきた。
進学したらこの年にできなかったことをいっぱいしようと思っていたら、コロナ禍。
今度は社会的に動くことができなくなった。時々、その前の年の症状が出そうだったけど、慣れの経験からか、大してひどいことにならなかった。むしろ、開き直っていた。「去年もう経験したし」と。
でも、今度は、自分自身の心の奥底が、悲鳴を上げた。
身体は無理できなくなったのはなんとなく自覚している。今まではとんでもなく鈍感だった。痛みにも、心の悲鳴にも。自分の声にも。
それまで耐えてきたもので、聞こえないふりをしていたもので、すごく痛みを伴った。自縄自縛していたものがこと切れた。1人でいる時に突然泣く回数が増えた。
あの真っ暗闇が深くなった気がした。もがいて脱出するのではなく、闇の中にただ居た。ずっとこのままでいいと思ったし、そのまま自滅すればいいと思っていた。
それでも。
アレを取り払えた機会があって、今は小さくなった。
手を取り、背中を押して、送り出してくれた言葉があったから。寄り添ってくれる言葉があったから。
いろんなものから少しずつ解していった2年だった。義務感と並行しながら。自分のことで精一杯で、好きなものが苦しくなって、でも、なんとかしがみついていて。
解していって、今は、そのまま。少し身軽になって、むしろどうやって動いたらいいか分からなくて戸惑っている。急には動き出せない性分だ。
それでも、でも、やっと。意思が戻ってきた。
身体と感情は一度構成し直して。手足に力を込めたまま動かないのではなく、やってみようかなの初期衝動が、湧いてきた。
長かった。目に見えて壊れたのは2年くらいでも、実際はそれ以上の年月の澱みが溜まってたから。
もう、不必要な押し付けや義務感から、選択する必要なんてないんだ。
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