4回目入院記録

まずはじめに。ご覧頂く上で、不快に思ったり理解し難い感情などが表現として出る場合があることを注意書きとしておきます。

そして前提として、今回は双極性障害についての話が主となる予定です。とは言ったものの、他の患者さんのお話なども登場する為、「精神疾患と戦う人たち」の記録として読んで頂ければと思います。

ということで。2022/06.02〜2022/06.16まで入院した時の記録を記していきます。


そもそも今回の入院の大前提として。
前回3月にも酷い体調不良になって、その時は精神的不調は勿論だが、身体的不調の方が異様に強く、最終的に一人で立ち上がることが出来ないほどに寝たきりになってしまい、その過程だったりをTwitterのとあるアカウントにずっと記録として残していた。すると、端的に言うところの誹謗中傷に遭い、しかもそれが12年間という長い付き合いのあった友人だったものからだったので、3〜4月も入院してたとは言え、あまり良い状態ではなかった。

4月上旬を退院してからは暫く家事など努力したり出来ていたものの。今度は季節の変わり目と、やはり誹謗中傷の出来事を引きずっていて何度も何度も落ちたりしていた。
そんな中で、よりにもよって5月のGWに家の老朽化かから来る水漏れか発生して、しかも3回、かなりの水分量の水漏れだった。疲弊した精神であちこちの対応に追われるのはかなり堪えて、一通り終わった頃からかなり精神的には「やばいな」と体感するまでになっていた。この辺りから色々な環境予々で、人間不信のきらいに拍車が掛かり、ずっとプレイしていたMMORPGもやることが辛くなり、休んだ方がいいと周りに言われまくって休養に。

とは言え、すり減った精神とやり場の無い怒りとかそんなものをずっと抱えていたので、5月の半ばから不安発作に見舞われる羽目になった。毎日突然の不安感、焦燥感、苛立ち、他諸々の感情に苛まれて毎日声を上げて泣きじゃくって、泣くだけ泣いても治らなくて、行き場のない感情だけが渦巻いている生活が続いた。これは一週間続いた。3日目くらいから目が開かなくなったし痛かった。

とある日。希死念慮に限界を迎えた私は、母に電話をした。母の優しい言葉に、私はやっぱり子供のように泣いてしまい、そして「病院に行こう、それから入院しよう」と言われて、頷いた。

翌日早々にかかりつけ医に診てもらい、緊急入院の手筈を整えてはもらったものの、その日が金曜日の午後だったため、どの入院先も連絡が取れるのが早くて週明けだ、と。それを聞いた瞬間に診察室でまた不安発作を起こしてしまい、無理矢理鎮静剤を打ってもらってなんとか、というような悲惨な状態。

流石に「一人にできないから実家に居てほしい」と言われて、前日の木曜日から金曜日は実家にいたものの、金曜日に鎮静剤を打った私は何故かどうしても一人になりたくて、色んな言い訳をして無理矢理一日だけ自宅に帰らせてもらった。それがいけなかったのだが、案の定希死念慮に苛まれ、攻撃性も出て、あちらこちらにアレコレしてしまった。具体的に言うなら、遺書を書いたり自傷というか自殺しようとしたというか。

生まれて初めて、具体的な殺人願望を抱いた日でもあった。死ねないなら殺してやろうか、と。そう思うまで誹謗中傷によって追い込まれていたのである。誰かにどうにかして欲しい、という気持ちがあるので、こころの相談センターや、まさかの警察にまで電話した。こんな危険な自分を一分一秒でも早く隔離してほしかったからだ。

でも警察の方はとても懇切丁寧に対応してくださって、「殺人願望があるんです。どうしたらいいですか?出来れば自分を強制入院などで隔離してほしいです。」と申し立てたら、そこまで自分のことが分かっているから大丈夫なこと、強制入院させるには殺人願望+飲酒しているなど、様々な複雑な決まりを踏まえた上ではないと行えないこと、なので今はどうしてあげることも出来ないが、何かあればまた電話してきて良いから、と言ってくれた。警察の方と話すことで少し落ち着いて、やはり母に電話することにした。

すると母は取り急ぎで自宅まで来てくれ、そこからは前述の通り、入院日まで実家生活を送った。あと、もう一度病院にも連れてってもらったのだが、その間にそれはもう未曾有なほどに友人から心配する声を貰い、何年も連絡を取ってなかった友人までもが連絡をくれた。主に高校時代の友人達である。他にもネット上でも沢山の声を貰い、それを見てやっと久しぶりに「もう少し生きてみようかな」という気持ちになった。

この日を境に、一度不安発作は治った。実家にいた間は一度も出ることもなく、一週間ほどいた気がするが、最終日に近づく程家事の手伝いが出来るまでには回復した。





前置きが長くなってしまったが、漸く入院当日の6/2を迎えた。時刻は14時予定。抗原検査を行い、陰性だったのでそのまま診察へ。任意入院3回目な自分にとっては、閉鎖病棟であることとか、入院の目的とか、概ねの流れはもう厭というほど覚えていたので、薬の調整くらいにしか口を挟まなかったし割と元気なこともあって先を促した。(後述するが、これは何故か言及を喰らう羽目になる)

あっという間に病棟(今回は療養病棟/一般病棟のある病院だったが、長期療養ではないので一般病棟へ)に上がり、この病院は珍しく荷物検査が立ち合いではなくて、あれよこれよと4人部屋の自分のベッドに案内されたし、鞄の中身が全部棚に出されていた。「荷物検査終わったんだな」とは思ったものの、勝手にお店を広げられていたこと、また、棚が大変に汚く埃やらゴミやらがそのままの状態でバスタオルなどを広げられてしまっていたので、一番最初にやったのが棚の掃除。アルコールウェットティッシュで全部拭いた。なんなら床も拭いた。

同室は高齢の方ばかりでとても静かで、一人面倒見の良い方もいたので挨拶は円滑に行えた。この部屋なら大丈夫かな、なんて思った。(よく居る発狂タイプとかが居なかったので)

これは自分のルーチンと化してしまっているが、やはり入院当日は肉体的疲労が嵩むので、爆死したように寝てしまう。前回の入院に至ってはベッドの上で土下寝していたほどである。夕食で叩き起こされて、寝ぼけながらデイホールで食事。

食事はホールで摂るか、部屋で摂るかが選べるという珍しい病院だった。食べた後、どのくらい食べたかの報告だけすればなんでも良いらしい。大体のデイホールは、みんな自分の「こだわりの席」があり、そこを取られると怒ったりする人が多いので、初日は出遅れたこともあり空いていた席に勝手に食事が置かれていた。

食後。病棟のスケジュール表を貰ったので目を通さなければ…などとは思いつつもやはり疲れていたので爆死。しかし、夜間に問題発生。


もうこれは笑える奇跡なのだが、なんと4人部屋の全員のいびきがうるさすぎて、めちゃくちゃ中途覚醒したし、煩さのあまり寝れないという非常事態。普通の人のいびきは、レム睡眠とノンレム睡眠を繰り返すので音量に波があるが、とある方が延々とクソデカボイスのいびきだった為、こりゃあいかんと。これは二日間続いた。

翌朝6/3(金)。低血圧の朝は酷い。朝食もやはり叩き起こされて、適当な所に腰掛けてデイホールで食事。朝食後は寝ようと思ったら、金曜日は担当医の一週間に一回の診察日らしく。仕方なしに適当なところで起きて診察を受けた。入院翌日だったもので、話したいことと言えば自由散歩(主治医の許可があれば、一定の時間に1Fロビーと駐車場に出れるというやつ。ここで携帯いじりと煙草が吸える)に出れるかの確認くらいで、呆気なく了承。同時に同室のいびきがうるさくて中途覚醒が酷く、寝れないことは伝えた。この日、携帯と、風呂の確認を忘れる。(携帯も風呂も翌日には許可が降りた)

しかし金曜日午後が女性一般入浴だった為、この日は風呂はお預けを喰らい、月曜日まで風呂に入れなかった。煙草は許可出たので、その日から説明受けつつ出れることに。

そして自由散歩。前回の入院もそうだし、これは普通の社会でもそうだが、喫煙ネットワークと言われるだけはあって本当に強い。
まだ二日目で、どんな人がいて、どんな病気なのか分からないので無言で喫煙所に行き吸い始める。すると、一人の男性が「こんにちは」と話しかけてくれたので、挨拶と自己紹介をし、雑談開始。すると、この病院にはデイホール(大、収容20名弱)と(小、最大8人)があり、小ホールでいつも屯しているのでよかったらおいで、と誘われた。

特にやることもないし、折角なのでと散歩の後に顔を出してみた。そこで3人の患者さんと仲良くなれた。うち2人は前述の自由散歩で一緒に喫煙していた為、再び、といったところ。簡潔に言うとおじさんとおばさんだ。加えて、1人若い女の子が居て、物静かそうな女の子だった。この子とは、この入院の過程でかなり仲良くなった。Kさん(おじさん)、Tさん(おばさん)、Mちゃん(女の子)であることを先に記しておこう。

皆入院期間が長かったりリピーターの為、知識が豊富で色々教えてもらった。他の患者のこと、スケジュールのこと、などなど。どうやら金曜日の午前中はお菓子注文というのがあったらしいが、診察もあり見事に逃した。金曜日に頼んで翌週金曜日の受け取りのため、今回の入院では事実上死んだシステムだった。(退院予定が2週間後の6/15(水)or6/16(木)だった為。)

と、この辺りで診察結果を聞いた看護師が来て、部屋移動をしてくれることに。なんと有難いことに、Tさんと同部屋の4人部屋に移れることに。この日からは部屋で一緒に食事を摂るようになった。Tさんはとても面倒見の良い気さくな女性で、明るく、みんなの相談役といったところで、自分同様なんで入院しているのだろう?くらいには元気だった。だが理由は後々何となく分かっていく。

小ホールではみんなでトランプ(これはTさんが病棟貸し出しのものを事実上パクっている、本当はダメ)をしたり塗り絵をしたり絵を描いたり、いろんなことをしながら過ごしたし、普通に話せる人たちだったので、居場所が出来たようで嬉しかった。

そしてその過程で、 Sちゃんという若い女性とも話すように。この子は常に鼻からチューブを通しているし、明らかに拒食の体型だったことから、病名は最後まで知らなかったが、醜形恐怖病の類と内科的なものも併発しているのだろう、とすぐ気付いた。しかし性格はやや不安症ではあるものの、とても穏やかな子で、コミュニケーションはしっかり取れるタイプの子だった。

私の入院生活の主軸は、この4人と過ごすことになる。



Tさんは同室だったこともあり、午前中に弱いこと、元々自分と同じ夜職の人間だったようで、超夜型なこと、あとは自衛としてメンタルが不安定な日はベッドに篭っていることが多かった。

Kさんはうつ病だということを明かしてくれて、この病院のリピーターであること、まさかの自宅が隣町(〇〇市〇〇町(任意の数字)の数字が隣でとても家が近所なこと、かなり朝型で夜は弱く、絵を描くのが好きなおじさん、と言ったところ。ただ、仲良くなるにつれ、朝食後部屋まで来て遊ぼうと声を掛けてくるので低血圧で朝が弱い私とTさんはちょっと悶絶していた。

Mちゃんは本当に大人しく、冷静で、みんなのツッコミ役だったりする。若いのに異様にしっかりしているなと思ったら、大学時代に福祉系の勉強をしていた為、こういう状況の手続きだったり、とにかく知識が豊富で、また、複雑な家庭環境によって現状板挟みを食らっている真っ最中ということも話してくれた。これは現在も解決していない。割と自分のことはよく話す子だったので、私は自然と聞き手に回り、色々と伺うことが出来た。年齢もすごい離れているわけではないし、自分も割と健常に近いことから自然と打ち明けてくれたのだと思っている。

3人とも自分のことを話すのは厭わないし、コミュニケーションに問題はないし、気遣いも出来るし、何かあれば相談に乗り合う仲、と言ったところで、短期静養入院の自分がよくここまで馴染んだな、というのが最終感想。



しかし、そんな自分も入院中に一度だけ悩んだりした。

とある日。自由散歩が15時半からの日。15時半になっても看護師が全く自由散歩の介助をやる気配がなく、私は「15時半ですよ〜」と言った。
すると間もなくやっと1人の看護師が自由散歩の荷物確認などをやり始めて、ひと段落して出る間際。私につかつかと近寄ってきて、こう言い放った。
「声がうるさい。あなた一人だけ。」と。

私の声を聞いたことのある人は想像に容易いだろうが、私の声は元々声量もあり、通りやすい声をしている。それは地声でしかないし、何なら扁桃腺が大きいからというのもある。その分歌うのが得意だったりした時期もある。

向こうの言い分としては、他の患者もいるから、ということは勿論あるし、誰しも自分のように元気ではないし、何かしらの悩みがあって全員が此処に居る、というのは言われなくても分かる。
が、これは後から知った情報だが、その看護師は割と問題児で、何かと患者と問題を起こしがちである。理由も想像しやすいだろうが、言葉がきつい上にせっかちだからである。また、歳的に更年期障害が入っているからである。

要するに自分のスケジュール通りにいかないケースで私に時間を指摘されたことに腹を立てて、自分の言いたい放題に言ってきたわけである。無論私は言いたいことは分かるけど、それこそこういう場所なんだから言い方ってもんがあるだろ、と思ったし、そのストレート過ぎる無神経なものの言い方が、ネットで喰らった誹謗中傷をしてきたうちの一人とそっくりで、すぐさまフラッシュバック、要はPTSDを発症した。

自由散歩の間から、何だかなあ、と思いつつ、段々と落ちていき、PTSDを起こし、夕食までは普通に見えるように振る舞っていたが、限界を来して久々に不安発作を起こした。ベッドの中で声を殺して泣きじゃくり、持っていたノートに気持ちを書き荒らして、どうしようもなくなったので仕方なく夜勤に頓服の抗不安薬を貰いに行くことにした。夜勤看護師が少人数体制なのは精神病棟ではほぼ常と言ってもよく、しかしその日の夜勤看護師は親身に話を聞いてくれた。

頓服を貰うには勿論「何故必要なのか」を伝えなければならず、私は昼間の出来事全てを夜勤看護師に打ち明けた。すると、その看護師は、「私が代わりに謝るね、ごめんね」と言ってくれた。そこで私はまた泣いてしまった。何故この人が謝らなければならないのだろう、と悔しかったからだ。そんなこんなでその日はベッドに篭り、翌朝。

翌朝もまだ気分が晴れず、不安定さを感じていたので起きて早々に頓服を貰いに行った。変わらずいた夜勤看護師に「まだ不安だから」と理由を伝えたら、何故かその時は「そうやって何にも理由を付けるのはやめた方がいいんじゃない?」と言われた。それだけは理解出来なかった。

何でかと言うと、理由があれば勿論人間は不安になるし、理由がなくても不安になるのが精神病の特徴だと思っているからである。まあ引っかかったものの、これはそこまで引きずってない。確かに何にでも言い訳を付けるのは自分の癖でもあるので。

そして午後、やっと少し持ち直したので、気分を変えようとみんなの所へ行き、少し話を聞いてもらって、大分落ち着いた。ここで問題の看護師がそういった人だから、という情報を得たのだ。

そして6/10(金)、退院前最後の診察。無論一連の看護師とのやり取りは話してあった。というのも、看護師とぶつかったが上に今すぐにでも退院させろ!という気持ちが強まった為、診察前に一度主治医と話す羽目になったからだ。結果気持ちも落ち着いたし、こんな不安定さで出るのも時期尚早と自分でも思ったので、退院日は予定通りにすることとした。ここで6/16(木)に確定となる。

しかしそれを踏まえてか、ややおかしな質問をされた。「どういった時にネガティブになるのか」「どうしてネガティブになってしまうのか」だ。
頭の中が疑問だらけになる。そりゃあ何でって、元々の性格、今までの経験、そして何より今はそういう病気なのだから、それ以外に何があるのだろう?と思った。が、極力客観的に自分を見た見解を医師に共有した。すると。
「入院時の診察から思っていたが、専門的用語を用いて言葉の壁を作り、心を守ろうとしている。ので、デイケアやカウンセリングを受けた方がいいのではないだろうか?」
と。一層頭の中が疑問符だらけになったので、ここはもう適当に流した。この時点で、この先生とは合わないと思ったからだ。

余談として、この前の週の診察で、気候や気圧でも体調や精神が左右される、ということも話したが、その時それに対して、「いや、それは科学的根拠が〜」どうのこうの言い始めたので、それも話にならんと思ったし、そういうのは学会でやる話で患者に向けるべき言葉ではないと思っていたので、不信感がMAXに到達したのでそれは物申し立てた。それに関しては、経緯はさておきその発言をした記憶は明確にあるので、申し訳ない。ということと、それをその場で言えるようになると良いですね、と言われた。いや、普通にあかんやろ。

とまあ、紆余曲折あったものの、6/16(木)に無事退院し、今は自宅静養を取りつつ、ヘルパー導入の手続きも進め、いつものかかりつけ医、というか本来の主治医にも会い、謝罪と入院の中の出来事を全て話した。
なんとこの日。母に預けた超重要書類である「退院報告書」を母が持参し忘れた為、ほぼ全て口頭で説明する羽目になった。が、薬手帳は持っていたし、凡そ理解してもらえたので良かったし、入院中に起きた出来事はどれも主治医にとっては苦笑いするような出来事であったようで、やっぱりこの先生で良かったな、と改めて思い直した機会でもあった。

自分の話はこの程度で、あとは何故か行う羽目?というか自分がちょっかいを出した話が幾つかある。それを最後に記載していこうと思う。



〈ケース1. Sちゃん〉
彼女は見たままの通りの不安障害持ちで、いつも廊下を歩いていた。何でかというと、傾眠の副作用が強く、言っても変えてもらえないからだそうだ。また、自分が飲んでいる薬が何なのか、具体的な薬剤名や効能を知らない為、「薬を飲まされている」という行為にもとても不安を抱いていることを打ち明けてくれた。
幸いにして自分とMちゃんの知識で概ね薬剤名に検討がついた為、自由散歩の時間を利用して薬剤の効能と副作用を調べてきた。本来患者には開示してもいいのだが、まあ病状にもよるしそこは主治医の判断でしかないので、これはバレたらめちゃくちゃにヤバいことであるのは念頭に置いてほしい。

自由散歩が終わってすぐにSちゃんを捕まえて、調べてきたよ、とMちゃん立ち合いのもと面談開始。

まず、今飲んでいる薬がどんな効果をしてくれるか、また、傾眠が副作用として出るかどうかを伝えた。一種類やや量が多かったので、恐らくこれの所為だろうとも伝えた。同時に、調べた傾眠以外の副作用は出てないかを確認したところ、そこは大丈夫とのことだった。
薬の効能自体は理解したものの、まだ薬を飲む行為に対して不安が強く、「これを飲み続けることによって体がおかしくなったりしないか?太ったりするのは嫌だ」と、限りなく確信に近付くことが出来た。

そのため私は、「薬自体が体に大きな病気をもたらすことは基本的にない。(アナフィラキシーがあることは伝えてない、余計に不安になるし、今飲んでいられる以上アナフィラキシーの対象ではないからだ)ただ、こういった病気の薬というのは“効能"という良い部分と、"副作用"という悪い面があり、このバランスを保つことが大事になる。例えるならば、人間だと考えてほしい。人間も勿論良いところと悪いところがある、薬もそう。人間と同じで悪いことしかしない薬も居るので、それは"合わない"のだから、ちゃんと先生に伝えて切ってもらうこと。
また、Sちゃんの今後の目標として。
①薬で不安を減らしていく
②薬を減らしていく
③元気になる
この3つの順番でやっていけば、ちゃんと良い方向に向かうから、今出されてる薬は不安がらずに飲んで大丈夫なこと、どうしても眠気が酷いなら、薬を減らしたり変えること。そこを頑張っていこうね」

と、一頻り説明を終えた。するとSちゃんはかなり不安がほぐれたようで、非常に安心した表情と笑顔を見せてくれた。カウンセリング大成功の証である。目標を明確にしたことにより、本人にとっても少し目処が立ったようだ。
そしてめっちゃ分かりやすかったし、納得したし、安心した。こういうの向いてると思う、と太鼓判を頂戴し、また何かあればいつでも聞くからね、と面談終了。


〈ケース2.Kさん〉
時を同じくして、実はKさんも別の看護師と揉めたそうだ。そして自分同様に、一分一秒でも早く退院したいこと、また、かかりつけ自体がこの病院であることから、セカンドオピニオンまで検討していた。面談開始。

自分の通っている病院は結構この辺りでは有名な病院で、確かに主治医は大人気医師である。多忙すぎて診察に行く度にブラックコーヒーの缶が置かれていることから、寝不足が窺える。そんな先生だ。

家が近いということもあり、自分の病院も無きにしも非ずではあるが、初診を取るのに待機が長いこと、入院施設は兼ねていないこと、また、別の入院時にKさんが苦手になった人が通っている、ということでそれは無しにしよう、という話に。

そして今この病院にもう5年以上かかりつけとして来ていること、入院リピーターであること、デイケアがあるため、退院後はこの病院のデイケアに本来は行きたい、ということを教えてくれた。

なので私は、
「まずそれだけ長い間通えている病院を、突発的な一時的感情で変えようとするのはややリスクが高い。精神科医も十人十色なので、セカンドオピニオンに失敗する可能性も高いし、まずは問題の看護師と極力関わらないようにすることを心がける方が早い。年数が長く、リピーターの為、どうしても勤めている側の移り変わりもあるだろうし、そこで合う合わないは人間なのでどうしても発生してしまう。かと言って、ここ以外なら起こらないのか、と言ったらそうではないし、行ってみないと分からないことだらけでしかない。だったら少しでも信頼出来る人が少なくてもいる病院にいる方が良いと思う。
そして、今は退院したい、という気持ちが強いだろうし、それは自分も思ったことなのでとてもわかるけど、これもまた自分同様で、その状態で出てもまたすぐに入院になってしまう可能性の方が高いと思う。だったらもう少しだけ猶予を設けて、ちょっと様子見て、どうしてもダメだったらその時もう一度先生と話して、退院するのが良いと思う。次すぐに入れるかも確約出来ないしね。」

と、割と強めの正論を伝えたら、あー…と納得したと同時に少し思い直したようで、もう少し自分の様子を見てみることを選択してくれた。カウンセリング成功、面談終了である。

ただ。この記事を書く二日ほど前に退院したらしいので、やはり一時的感情で出た可能性はある。まあ引き留めたり説得する人間が居なければこんなものである。彼がこれ以上リピーティングしないことを祈るばかり。



〈ケース3.Mちゃん〉
これは私が退院前日に起きた最も大きな事件であり、一番カウンセリング難度が高かった。が、結果から言うと持ち直しには成功している。

退院前日の自由散歩後。私の退院前日ということもあり、TさんKさんは進んで小ホールに出てきてくれていた。しかしMちゃんがいつまで経っても来ない。その時点で「何かあったな」とは気付いた。

夕食1時間前くらいだろうか、ようやっと姿を現した彼女は目を真っ赤にさせて、俯いて椅子に腰掛けた。もうこの時の私の気持ちは、「誰だか知らんけどやってくれたなあ」のみ。
3人がかりで一体どうした、と声をかけても反応無し。完全に喋れない状態に陥っている。時折鼻を啜っていることから、まだ泣き足りないのではと思い、私だけが「泣くのだけは我慢するなよ」と声をかけ背中を摩り続けた。暫くしてTさんは先に席を離れ、Mちゃんがケースワーカーに呼ばれた。ので、付き添いつつケースワーカーの下へ向かった。するとMちゃんが、「メモ帳取ってくる」とだけ言って一旦その場を離れたので、ここぞとばかりにケースワーカーに詰問。まずMちゃんと話したのは貴方か?という質問を投げかけると、ケースワーカーも今来たばかりで話してないことが判明。この時点で原因から除外し、今の状態がかなり酷いので出来れば話を聞いてあげて欲しいことを頼んで私は離れた。

暫くして。ケースワーカーと話が終わりMちゃんが帰ってきた。その表情は先程より大分落ち着いており、おかえり、と声をかけるとただいま、と返してくれた。話せて良かったな、と声を掛けたところから面談開始。

さっきはどうした?と聞いてみると、この日は何度もケースワーカーの姿を見ていたこと、また、Mちゃん自身が諸事情あって急いでケースワーカーと話さなければいけない状況であるのに、いつになってもケースワーカーが来る気配がなく、自由散歩までも終わってしまった。この時時刻は16時。ケースワーカーの定時は17時で、ケースワーカーの家庭事情で18時には帰らなければならない、ということをMちゃんは事前情報として知っていた。(私はこの時初めて知った)
そして16:45〜17:00は日勤と夜勤の申し送りの為、それまでに日勤看護師が引き継ぎの為に本日の担当患者にそれぞれ状況確認に来る。そこで問題が発生したようだ。

Mちゃんはその事前情報を基に、「まだケースワーカーと話せてないし、今日はずっと居るし自分は急いで話さないといけないことなのにどうして来ないのか」を日勤看護師に言ったそうだ。すると、「今日はもう話せないかもしれない、明日になってしまうかも」と言われたそうで、ここでダムが決壊するわけである。看護師に悪意は無いにせよ、事情が事情なので彼女にとってはそれは絶望的に思える事態なのだ。

というのも、最初に記したように、彼女は今複雑な家庭環境に追われていて、何とか独り立ちをする為の手続きを進めている。その為市役所の人間とも話さなければならず、何とまあこれが酷い話だが、ケースワーカーがある程度の手続きを受け持っていたにも拘らず、市役所員との面談日は、「俺がいなくても大丈夫でしょ」と言ったそうで、実際立ち合いはしていない。
しかし、彼女一人に対して市役所員は二人掛かりで来ており、一人新人・一人は教育係と言った態勢で2対1の面談が始まったようだ。そこでの面談での話の過程で余りに齟齬が多く、このままではとある申請に問題が生じるのでは、と懸念した彼女はこの時から悩んでいて、それを一日でも早くケースワーカーに話さなければいけなかった。これが全てである。

この申請が通らない=彼女は地獄に帰る他ない、という、退路がない四面楚歌の状況だったのに、ケースワーカーは面談不在にするわ話には来ないわで、そんな不安定な彼女のメンタルに看護師がトドメの一撃を刺してしまった、ということを夕食を二人で食べながら話した。

市役所員の話も聞いてみると、生年月日がそもそも違うとか、本当に大丈夫なんですか…?って誰しもが思うところとか、本当に酷い齟齬と説明不足が著しく、私はそういった所に徹底的に指摘を入れつつ、同じ手続きを踏んでもいるので確かにそういった面もこの市にはあること、また、Mちゃんのような複雑なパターンの申請に新人を充てがう市役所も大概どうにかしている、と、割と散々に言った。

その辺りに大変同調してくれたようで、彼女は段々と口数が増えていった。最終的に私が出した結論(ほぼ指摘と不満)としては。
「まず市役所が大概適当過ぎる。そういったケースに新人を充てようというのは間違っているし、仮に教育係がついていたとしてもそれは逆に圧迫感でしかないこと。幸いMちゃん自身がそういった福祉の知識があるからいいものの、そこに甘んじて仕事を一つ減らしたケースワーカーはもっと悪い。し、ケースワーカーが面談中にMちゃんに言った"そんなことで悩んでたのか"は言ってはいけない言葉。Mちゃんもケースワーカーがそういう性格で本人(ケースワーカー)も自覚があると分かってはいるみたいだけど、だからと言って許す必要があるかと言ったらないし、もっと怒っていいんだよ。」

と、掻い摘んで一通りに指摘を出して、ケースワーカーと話せたこと、自身の不安だったことや出来事をアウトプット出来たことで大分安心したようで、夜にはすっかり普通に戻った。カウンセリング成功及び終了。

余談だが、ケースワーカーと話せた後に「(私)さんと一緒にいるのがいいよ」と言ったそうだが、いや私が明日退院なのお前知ってるだろ???お前私も受け持ってるんだからな???????となったのは個人の怒りです。

とは言え、Mちゃんは煙草吸わないけど自由散歩に出てるのは、電話をしたりアウトプットに時間を割いている為、密やかに連絡先交換してるのでいつでもこれからも話は聞けるわけだ。彼女に関しては、また何かあれば相談に乗れればなと思っている。



以上のケース3つを15日間のうちに全て済ませました。自分も元気ない期間あったのに良くやったと言ってやりたい。ここは褒められたい点だと勝手に思っている。

やはり入院する度に思うけれど、人それぞれ思いや悩みは違うし、入院するほどってやっぱり大変な事情を抱えているし、特に精神病棟は「此処しかもう居場所が無いから」という人が沢山居るところ。

医師看護師は勿論のこと、患者間であってもこうやって助け合いすることも大切なのかな、と思った。やっぱり自分も救われたし、その分はある程度は返して帰ってこれたかな、と思うので。
出来る限り今後は入院は避けたい(これは今度は自分の家庭事情として)が、もしも入院するとなったら、少しだけでも差し伸べられる手があれば良いな、と感じている。

勿論、入院患者だから大事にする、ではなくて、身の回りにいる全ての人に対してそうである。勿論、これを読んでくれたあなたにも。

優しい人で在りたいと、そう願います。
以上、4回目入院記録でした。

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