ミー

心を綴り、言葉を愛でる。 ことばでこころを豊かにする わたしの生き方きろく

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  • 拝啓、この世のなか

    世の中に対する ちょっとしたもやもやを元に

  • わたしのこころ

    わたしの生きるみちしるべ そんな言葉たちを

最近の記事

あなたのアイデンティティを、誰かの『自分と違うヒト図鑑』に分類させないで下さい。

あなたは、あなたです。 誰かの分類する、 日本人類/社会人目/最近の若モノ科 などではありません。 だれかの 「自分と違うヒト分類学的階級」に あなたを当てはめさせないでください。 あなたでない誰かが 今まで出会った自分と違うヒトビトを グルーピングして、 ラベリングして作った そこにあなたを入れさせないでください。 他人が「自分と違うヒト図鑑」に コレクションしたそのどれにも、 あなたは当てはまりません。 あなたのアイデンティティは、あなたのもの。 自分は

    • 他者理解とは、すなわち自己発見である。

      他者を理解するというのは、 新しい自己を発見することにほかならない。 なぜこの人はこういう考えをするのだろう? 自分とは違って何を大事にしているのだろう? 自分と異なる価値や行動を理解しようとすれば、自ずと自分の大切にしている 価値観や行動と向き合うことになるのだ。

      • 他人と違う自分に、言い訳を探さない。自分と違う他人に、腹を立てない。

        あなたが他の人より苦手なことがあるのは、 朝日が東からしか登らないのと同じこと。 誰かがあなたより苦手なことがあるのは、 夕日が西にしか見えないのと同じこと。 太陽が西から登らないことに落ち込んだり、 夕日が東には見えないことに怒ったりする人はいない。 だから、 他人と違う自分に言い訳を探さなくてもいい。 自分と違う他人に腹を立てなくてもいい。

        • 美しい思い込みで生きていこう。所詮人生なんて思い込みで出来ているのだから。

          あの人は私のことが嫌いかもしれない、 嫌な思いをさせたかもしれない。 挑戦しても失敗するかもしれない、 頑張ってもできないかもしれない。 そう考えることはできる。 しかし、だれがそれを証明できるのか。 否、他者の感情や考え、未来を 100%の保証のもと知ることは決してできない。 どうせ分からないのだから、 嫌われているという思い込みより、 好かれているという思い込み。 できないという思い込みより、 できるという思い込み。 ネガティヴでもポジティヴでも 所詮は思

        あなたのアイデンティティを、誰かの『自分と違うヒト図鑑』に分類させないで下さい。

        • 他者理解とは、すなわち自己発見である。

        • 他人と違う自分に、言い訳を探さない。自分と違う他人に、腹を立てない。

        • 美しい思い込みで生きていこう。所詮人生なんて思い込みで出来ているのだから。

        マガジン

        • 拝啓、この世のなか
          2本
        • わたしのこころ
          10本

        記事

          悪口は麻薬だ。

          他人の悪口を言うことは、 タバコや過度な飲酒、 ドラッグと何ら変わりない。 その一瞬は気分が良いかもしれないが それは他人や自分を傷つけて得る 一時の快楽に過ぎないのである。

          悪口は麻薬だ。

          与えることは、それすなわち貰うこと

          私があなたのために何かをすると、 あなたは笑う。嬉しくなる。ありがとうと言う。 そうして私はあなたから幸せをもらう。 相手に何かを与えるということは、 それすなわち相手から何かを貰うこと。 give and take ではなく、 give = take なのだ。

          与えることは、それすなわち貰うこと

          リスペクトってそういうこと。

          他者をリスペクトするとは、 自分と違うところを 認めて尊重すること。 相手にとって大事なものを 重んじること。 私は粘り強く、 心に従うことを美徳としているが、 あなたの美徳とする潔さ、 我慢強さを否定したりはしない。 私はあなたの美徳に従って 生きることはしないが、 あなたの美德を大いに賞賛し、 私の美德の方が重要だから これに倣えと押し付けたりしない。 リスペクトってそういうこと。

          リスペクトってそういうこと。

          好きに知識は必要ない、好きに技術は必要ない

          何かを好きです!というときに、 あまり詳しくはないんですけど。。。 あまり上手ではないんですけど。。。 という人がいる。 その度に思う。 それがなんだ! 好きでいることに知識も技術も必要ない。 パキケファロサウルスを知らなくたって 恐竜が好きだと大声で言っていいだろう 音程が上手くとれなくたって 歌が好きだと叫んでいいだろう。

          好きに知識は必要ない、好きに技術は必要ない

          尖っている人、整えられた人

          「尖った人だ。」 よく聞く言葉ではある。 しかし「尖っている」とは 何を意味するのか。 尖った彼女、尖った彼は 他の人と違う どんな特別を持っているというのか。  しかし思うに、 尖っている人というのは 多くの標準的な人のように 社会の同調圧力や 押し付けられた規律規範によって 自分がその他大勢と 同じ形に整えられることを 黙って受け入れてこなかったのだと思う。 尖っている人というのは 才能や突出した何かがあるから 特別であれるわけではなく 自分自身であることの

          尖っている人、整えられた人

          自分を幸せにする責任は、自分にしか果たせないんだよ

          他人のことを考えすぎてしまう、 優しいあなたへ。 他人の責任をとろうとするのもほどほどに。 だって自分を幸せにする責任は、 自分しか果たせないんだから。

          自分を幸せにする責任は、自分にしか果たせないんだよ

          人生はデザインするもの

          人生はデザインするもの。 きっちり計画通りの実行でなく、意外性、偶然性や不完全性から美しさが生まれる。 だから計画通りという一つの正解でなく、無限大の可能性がある。

          人生はデザインするもの

          与えられてこなかった人は、与えることができない。

          自分の怒りや欲求を他人にぶつけ、親切や譲歩を他人にしない人がいる。 しかし彼はこれまで、怒鳴られ、要求され、そして親切や譲歩をされてこなかっただけなのだ。 私があなたに謝ったり、優しくできるのは、これまで私に謝ったり、優しくしてくれた人がいたから。 私と彼の違いはそれだけなのだ。だからこそ、私たちは与えられてきたものを今度は「彼」のような人に与えていかなければならないのだ。

          与えられてこなかった人は、与えることができない。

          実のところ、私たちを縛るものはなにもない。

          同じ価値観の人々の中で、同じ場所にずっといると、まるでそれが実際にあるかのように思えてしまう。 しかし、私たちを縛る常識、規律、正しさというのは本来、同じ思想を共有する集団が生み出した幻覚にすぎない。 実のところ、私たちを縛るものなんて何も存在しないのである。

          実のところ、私たちを縛るものはなにもない。