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S

sの音は歯切れが良くてさりさりしていて好きだ。
どのひらがなのような人間になりたいかと訊かれたら迷いなく「さ」を選ぶだろう。「し」でも「す」でもなく「さ」なのは「さ」から連想される言葉をなんとなく好きだから。さくさく、さりさり、さらさら、サクマドロップス、ささみ、最近、散歩、散々、左腕。
漢字を当てはめるなら断然「左」。ひだり、なのに「さ」と読ませるのが意地悪でかっこいい。

メガネをかけていると、俯瞰する自分の存在を意識し続けていられる気がする。
視力がどんどん悪くなっていくなか、メガネは似合わないからとコンタクトを選択し続けてきたけれど、昔買ったフレームにレンズを合わせに行った先で可愛くて、わたしに似合い、好きな子を連想させる、黒に金のすこし特徴的な眼鏡と出会ってしまった。
憧れたあの子はヘッドホンを制服に合わせて、黒縁メガネがとてもよく似合って、自由きままで春の空気のような女の子だった。
私はやっと素直に憧れるものに近づく私を認められている。好きを考えながら身につけるものを選んでいる自分はけっこう綺麗だと思う。
乱視が入ってすこしレンズが分厚くなった。ずっとコンタクトをつけていた分、枠で覆われた視界が端に寄るほど丸く歪むのにまだ慣れなくて、階段を降りる時足を踏み外しそうになる。地面が遠い。
裸眼でぼやける世界もコンタクトで輪郭がはっきりしている世界もまるく歪んでいる世界も変わりなく佇んでいる。疑う余地がない。視界にひとつ層を挟むことで、世界に直に触らずに済んでいる。
サマータイムレンダの主人公が「俯瞰」していたのが記憶から掘り起こされる。何かのスイッチを自分で切り替えている描写があった気がする。
私は常にフカンする自分がもう一人いて、すでに染み付いてしまった習慣は今更手放せないこと、失うことを恐れなくてももうオートメーションとして成り立っていることに気づいた。ある程度なにも考えなくても自分が嫌いになることはない。意識して無意識でいるような気分だ。以前よりは楽だが情報を常に取り込んでいるような感覚が頭の片隅にあり、疲れを溜め込む。
そんな時にタイミングよく眼鏡を掛けて外出するようになった。
眼鏡のレンズ越しであれば、映画を見ているような感覚で毎日を送れる。しばらくの間、眼鏡にわたしの額縁をやってもらおうかと思う。

もうすっかり寒い。昔はアウターを脱ぎ着することが異常に嫌で避けていたけれど、席を立つ時にゆったりと時間を持って重ねていく時間が好きになってしまった。
冬にかこつけて、いろいろな要素を自分に足していくことで外界とのほどよい断絶を図る。
強情なナイロンジャケットをおおきく重ねて、ヘッドホンで耳を温めて、眼鏡で意識を半分にし、化粧はほんとうのところをわたしだけのものにしてくれる。
おかげさまで眠い、眠い、眠い。立っていながら微睡むのははじめてだ。

いろいろな気持ちをわかりやすくする作業より、ひとつひとつを磨いて棚に入れてカウンター越しに眺めているような今のレシピが愛おしい。

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