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自分のはなし 後編

中国留学を終えて帰ってきた後に私を待ち構えていたのは就職活動。

当時はITバブルがはじけた直後。

全く内定がもらえず苦しんだ。

エントリーシートを書いて応募した企業はことごとく落ちてしまい、一番行きたいと思っていた会社は最終面接で落とされる…

ある意味、もう諦めかかっていた時、

エントリーシートを出した会社の中で唯一選考が残っていたトヨタ自動車から内定をもらえました。

私はもう1回選考があると思っていたので、内定の電話をもらった時に、

え?まだ一回あるんじゃないですか?

と思わず言ってしまったくらいです。


ということで晴れて社会人になりました。


工場と販売店で実習をして、ようやく希望の部署がある東京で当然働くものだと思っていたけど、愛知県の本社配属に決定。

ここにはいろいろな運命のいたずらがあった気がします。

でも後ろを向いていられない。

トヨタに一緒に入社した大卒の同期は450人ほど。

うち女の子は30人ほど。

当時は電話に出ると「男性に代わってください」とか、女の子が一人で会議に来たけど大丈夫?みたいなことを平気で言われていました。

もちろん、マイノリティならではの特権もあります。

とにかく覚えてもらえる。

ある意味有名人でした。

かなり上の役員の方にも名前を覚えていただいていたので甘やかされていたこともあったかもしれません。

もしかしたら評価に下駄をはかされていたと言われるかもしれませんが、当たり前のように仕事ができなければ罵倒されたりもしたので、まぁ、それなりにフェアなコミュニティだったと思います。

説明に行った部署のおじさんから怒鳴り散らされ、資料をびりびりにされたこともあります(^^;)

同期の女性はほとんど10年以内に辞めてしまいました。

私が働いていた間に活躍する女性が増えてきたことで、今はずいぶん働きやすくなりましたよ。

色々と大変なこともあったのですが、日本と海外をつなぐ仕事がしたいという希望が叶った社会人生活だったと思います。

社内だけではなく、世の中からも注目される中国市場を舞台に北京駐在までさせていただけたのですから。

中国の仕事が終わった後も、新聞の一面を飾るような社会的に注目度が高い業務に携われて、しんどかったけど幸せな会社生活でした。

トヨタにはありがとうの気持ちしかありません。


でも大きな会社って、「私」個人の成果がアピールしづらいんですよね。

私はこれをやり遂げた。

こんなふうに言いづらいんです。

このプロジェクトに関わったチームの何十人、その関係する何百人単位の人が

協力してくれたからなし得たことだから。


だから私、忘れてしまったんです。

学生の時みたいに自分のことを素直に評価する気持ち。


それを今取り戻しかけているところです。

コーチングに出会った時のことはまた回を改めて。。。


読んでくれてありがとう。

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