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人種を超えて

はじめまして、こんにちは。
note始めにごあいさつと、私の想いを書こうと思います。


私は、香港人の夫と1歳の娘と、日本で暮らしています。

私が生まれ育った環境にはさまざまな『友人』がいました。
少し紹介させてください。

さまざまな『友人』。
それは、国籍、人種、障がいの種類、貧富の差、性別、性自認、家庭環境や背景がさまざまであったという意味です。

みんな同じ地域、同じ町内、同じ地元の学校で一緒に過ごしました。

さまざまな友人

カラフル


今は、在住外国人が増えていることもあり、学年に数人は、純日本人ではない子ども達がいる環境が多くなってきているかもしれないが、

私が小・中学生のころ、特に国籍、人種に関して言えば、クラスに数人は外国人や混血の子どもたちがいた。
当時の90年代にしては多い方だったのではないかと思う。

具体的には、韓国人、アメリカ人、ロシア人といった外国人だけでなく、
中国からの帰国子女、在日韓国人、また混血の子ども達もおり、スイス、フィリピン、ジャマイカ、イギリスなどの国にルーツを持っている子も多くいた。
学年250人くらいの中で、15人ほどが海外にルーツを持つ子ども達だったと思う。

憧れの的

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海外にルーツをもつ友人たちは、人気者だった印象が強い。
特に、外国人の女の子は、小学生のころから大人っぽく見えるため、憧れの的だった。

ある日、クラスに転校生がやって来た。父親の仕事の都合で来日したロシア人の女の子だった。
彼女はスタイルもよく、髪や目の色は自分たちの地味な黒色とは違い、きれいな水色にブロンドだ。おまけにピアスもしていると、オシャレを気にしはじめた思春期の女子たちは興味津々である。

そこからジェスチャーを交えてなんとか交流しようとするクラスのみんながいた。

混血の子どもたちに対しても似たような感じであった。
肌の色や目の色が違うことに興味を持ち、かっこいい、おしゃれ、かわいい、そんな単純な気持ちだからこそ嫌味なく距離を縮められたんだと思う。

みんな仲の良い友人で、今も集まってお酒を飲んで笑って過ごす。

人種の前に『友人』であり、国籍の前に『友人』なのだ。

友人であることに意味があり、そこに、自分たちと異なる見た目、という感覚は、あってないようなものだったんだと感じる。

障がい者だとしても

障がいに関しても同じような感覚だった。
障がいをもつ子ども達の特別学級もあったが、休み時間は遊びに誘ったり、掃除を手伝ったり、日常で自然な交流をしていた。

小学校の時、同じクラスにいた発達障がいをもつ男の子が、別の男の子とケンカになりかけていた。

そのとき、学年一(後に地域一)のヤンキーが、
『こいつになんかしたら俺が許さんからな!』と発達障がいをもつ男の子をかばったことがある。『○○はできひんことが多いからみんな手伝ったれや』と。
こうやって守るべきものがなんなのか、子どもながらに分かっていたのだろう。発達障がいを持ちながらもみんなと一緒に頑張る彼をみんなが認めていた。

障がい者だとしても、ともに学び、遊ぶ友人は、みんなにとって他と変わらない友人なのだ。

発達障がいをもつ彼が学校の中で、障がいを理由にいじめられたりしているのを見たことがない。外国人も混血の子も、その見た目や人種を理由にして、誰かからいじめられているのを見たことがない。

みんな仲良く笑顔で過ごしていた。

これが世界の縮図だと思っていた。


自分の中の、当たり前

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こんな環境で育った私は、世間知らずだったと気づく。

90年代後半から21世紀に突入したころ、インターネットの普及により、日本社会や世界の情報が手軽に見聞きできるようになってくると、
10代半ばだった私にも、人種差別やそれによる壮絶ないじめを体験している人が非常に多いことを知るようになる。

なぜなのか。
国籍が違う、というだけで。
見た目が日本人と異なる、というだけで。

なぜ、いじめに発展するのか。カルチャーショックのような驚きと悲しみでで、その現実を理解できなかった。

国籍、人種が違っても、友達は友達。
私の中にあったこんな当たり前の環境が、どんどん悲しい情報にのまれ、いつの間にか自分がいた環境は特殊な環境だったのかもしれないと思うようになった。

でもきっと違う。

どんな国籍であっても、人種であっても、同じ人間には変わりない。
そして、尊重し合うべき存在であることには変わりないのである。
この感覚をもてる人を世界中に増やしていきたいと思っている。

そのためには、子どもの頃から多国籍の人たちに触れること、つまり友達になることが必要なのではないかと思う。

そして社会をつくる大人が、壊すべき偏見とステレオタイプ思考に気づき、行動していくことが必要なのではないだろうか。

自分にできること

BLM東京

2020年5月、アメリカの中西部ミネソタ州でアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが死亡した事件は記憶に新しい。
ジョージ・フロイドさんは、白人の警察官に9分以上にわたって首をひざで押さえつけられて死亡した。

その後、これに反発するデモが各地で起き、人種差別への抗議活動が全米に広がったことをきっかけに、世界中で『BLM(Black Lives Matter)』の看板を掲げたデモ活動が見られるようになった。日本も例外ではない。写真は渋谷のファイヤーストリートである。

このような、あってはならない人種差別に少しでも興味があれば、自分にできることを考えてみてほしい。
偏見を持ってしまってもいい、ただその後に、相手の気持ちを想像してみてほしい。

その少しの立ち止まりが、世界を変えていく一歩になる。

戦争や紛争がなくなる日

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壮大な話と思うだろうか。
決してあり得ない話ではないと私は思う。

子どもの頃に仲良くした友人がいる国、もしくはルーツのある国で悲しい事件や震災が起こったら、どう感じるだろうか。
心配し、助けたいと思うのではないだろうか。

自分にできることを探そうとするのではないだろうか。
それが結果的に何もできなかったとしても、自分にできることを探そうとしたことが、善良な気持ちをもって他国、隣国を気に掛ける心が養われている証拠である。

繰り返しになるが、
だからこそ、子どものころからの多国籍交流と、
大人が変わり、動くことが必要だと感じる。

私自身も自分にできることはなんなのか、問い続け、発信し、行動していきたい。

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