充電
いらっしゃいませ。
長かったコロナ休暇も明日で終わり。
金曜日からの社会復帰を控え、この自宅療養いう名の充電期間で考えたことを記録しておこうと思う。
まず、9日間も仕事にいかなくて良い時間は
とーっても有難かった。
最初の3日間はコロナの諸症状に苦しんだけれど
4日目以降は休息をゆっくり過ごすことが出来た。
職業柄、人々が休んでいる時に休める仕事ではないので
思い返せば年末年始もGWもお盆もずっと働き詰めで
丸2年まとまった休みはなかった。
(これだけ聞くととんだブラック企業だな。)
極め付けは、去年の年越しの瞬間も仕事を
していたこと。
想像つくと思うが、コンビニの年末年始の人手不足は
深刻で、全てのしわ寄せが社員という立場にくる。
当時は無心で仕事をしていたが、いま思い返すと
自分が不憫過ぎて笑えてくるものだ。
二十五、二十一のドラマでも描かれていたけど
彼氏と一緒に年越しをするなんて、この会社にいる限り
絶対に無理だと気付いて泣きたくなった。笑
なにはともあれ、こんなに予定のない長期休暇は
初めてだったので、Netflixを観たりYouTubeを観たり
本を読んだりして、とにかく色々な人の価値観や情報を
インプットした。
そして何より、「仕事」について真剣に考えた。
正直、コロナに感染して今後もこの仕事を
続けられる自信がなくなった。
というのも、発症直前は本当に職場と家の往復のみで
思い当たる感染経路が全くないうえ、
現場ありきの仕事であるがため、在宅勤務など
出来るはずもないからだ。
基本的に体を張る体力勝負の仕事である以上
体調を崩すとシフトに穴を開けることになり、
そのしわ寄せが他の誰かに行ってしまう。
それがとてつもなく申し訳なかった。
もちろん、永遠にこの現場勤務が続く訳ではないが
今が苦行でしかない私にとって、明確な期間も
提示されてない中でモチベーションを保つのは
至難の業でしかないのだ。
他にも、アルバイトの急な欠勤による
シフトフォローなど、自分ではどうしようもない
不可抗力によって予定が乱されるのも本当に
ストレスが溜まる。
これ以上の仕事の愚痴は止まらないので割愛するが、
そんなこんなで日常から少し離れた状態で
今の仕事の「具体的に何が嫌なのか」を考えていた時、
ふと以前母に言われた言葉を思い出した。
「難しく考え過ぎないで、毎日の小さな幸せを
見つければいいじゃん」
という言葉だった。
言われた当初は腑に落ちなかったが
今はなんとなく分かる気がした。
今の私は仕事が嫌であるが故に
仕事以外の時間にも仕事について考えてしまう。
でも、当たり前だが仕事が人生の全てでは無いし
母の言う「小さな幸せ」とは「仕事以外の時間を
どう過ごしたいか」ってことなのかもしれないと
気付いた。
理想論だけを言えば、私は時間や場所を問わず
パソコン一つで仕事が出来るライフスタイルが欲しいし週末はオシャレをして会いたい人と美味しい物を食べて
コーヒーを片手に公園を歩きたい。
こんなことで良いのか?と笑われるかもしれないが
これらの些細な「こんなことたち」がもたらす
幸せははかり知れない。
なぜなら、これらは毎日起こることだからだ。
仕事は毎日しなければいけないし、週末だって
毎週来る。
こう考えると、ますます今の仕事を続ける
意味が分からなくなってしまった。
もちろん、今の会社にも良いところは沢山あるし
私の知らないところで尊敬に値する人が日々仕事を
しているのだと思う。
ただ、この仕事の先に幸せをもたらしてくれる自分が
いるのかと考えると疑問が湧くのも事実だ。
新しい道に進むのか、まだ結論は出せずにいるが
今後新たな決断をする時には
「その時はその選択がベスト」というマインドで
人生を切り開こうと思う。
仕事、行きたくないなあ。
またお越しくださいませ。
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