1.1.4. 双対システム
〈システム〉は、〈要素〉と〈軸〉を逆にした〈双対システム〉を伴う。〈双対システム〉は、理論的にはかならず存在する。たとえば、〈要素〉aが、〈部分集合〉あ、い、う、の三つに属するとするば、逆に、aを属させる〈部分集合〉の集合{あ,い,う}を考えることができるからである。
「主体」を〈要素〉、「関係」を〈軸〉とする社会システムの〈双対システム〉は、「関係」を〈要素〉、「主体」を〈軸〉とするものであり、一般に「制度」と呼ばれる。「制度」という〈システム〉は、静的な「関係」そのものが〈要素〉となって成立しており、その〈軸〉である「地位」に具体的な「主体」が就くことによって、〈システム〉として発動する。
実際には、「死んだ制度」「殺された制度」というものもある。すなわち、そこでは、空虚な「関係」だけがその〈システム〉の〈要素〉として名目上の共動性を持っているのだが、この〈軸〉である「地位」に具体的な「主体」を就けないことによって、もしくは、むしろその〈軸〉としての仕事を果たしえない「主体」を就けてしまうことによって、この〈システム〉全体の共動性を事実上の機能不全に追いやってしまう。
関係記述においては、このように〈軸〉の方が中心になって行われることが多い。もちろん、その〈要素〉の集合としての名前しかない「関係」もある。しかし、注意すべきは、〈要素〉が同じでも〈軸〉は同じとはかぎらない、ということである。つまり、〈原要素〉の〈集合〉(外延)に還元されないことがある。
たとえば、A氏とB氏は、子供のころからのよき友人であり、かつ、今は仕事上のラィヴァル、かつ、ある趣味の師弟、かつ、義理の兄弟であるかもしれない。これらの関係は、要素を並べただけの{A氏,B氏}では表されきれない。これでは、よき友人であるだけの{C氏,D氏}と、同じとも違うとも言えないからである。
つまり、〈システム〉は、ある〈原集合〉の〈部分集合〉を〈要素〉とする〈集合〉ではあるが、場合によっては、むしろその〈部分集合〉の方があらかじめ先に措定されており、その〈部分集合〉の間で〈作用〉が成り立っていることもある。実際、我々からすれば、直接に〈部分集合〉を概念として認識しており、個々の〈要素〉を意識することの方がまれであろう。
ここで言う〈要素〉は、ラッセル、古くはロックやヒュームに見られる「センスデータ」のようなものを意味していると考えてよい。我々は、通常は、個別の「センスデータ」を認識することなく、「センスデータ」を契機として、ただちに我々の手持ちの〈概念〉の方を意識する。
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