宇多田ヒカルについて

ただのいち音楽、および宇多田ヒカルが大好きな人間の視点から、宇多田ヒカルの楽曲について曖昧に分析させていただきます。

思い立ったが吉日。都度改編•修正予定。

やはり、宇多田ヒカルの音楽史を紐解く上で欠かせない軸が「人間活動」。

15歳から音楽家として活動し、どこにいても宇多田ヒカルとして認知されて生きてこられた彼女が、家庭を持って母親を亡くしたあと、
音楽家の宇多田ヒカルとしてではなく、ひとりの人間として生きたいと活動を休止した前と後。

人間活動前の楽曲は、まるで小説のようだと感じる。
架空の男女を描いている小説。誰もが自分の生活と関連付けができそうな、身近な情景が浮かぶような言葉選び。
これはこれで大好き。

ただ、私がどうしようもなく好きなのは、人間活動後の楽曲。


人間活動後の楽曲は、とっても内向的なものが多い。
人間活動前の、小説のような美しさをもちろん引き継ぎつつ、人間として解析度の増した深みのあるものになったと感じる。

信じられないくらいのパワーをかけて、自分と向き合って、喪失感や失望感を乗り越えたんだと率直に感じました。

まず、「fantome」
このアルバムで印象的な曲は、「道」「真夏の通り雨」「桜流し」。
率直な感想は、かなり暗くて内向的。過去志向。
もうここにはいないあなたを想い、喪失感と悲しみに暮れている感覚。鬱を感じる。
ただ、その喪失感の中に光を見出そうと、喪失感を受け入れようと、模索しているような印象。

次に、「初恋」
もうここにはあなたはいないことを、ついに受け入れられたのかな?と感じる。
もう会えなくても、自分の心の中であなたは生き続ける。心の中での関係性の変化を大切にしている印象。喪失感も自分の一部として大事にしていいんだと、自分の感情を受け入れて生きていこうという意思を感じる。

最後に「BADモード」
ここではもう、完全に精神が未来志向になっている。
これまでたくさんの喪失感と悲しみ、自分の感情に向き合ってきた結果、
どんなに悲しくて辛くても、私は私以外の誰でもない私を生きるしかない。
ならば私こそが最強のパートナーなんだと信じて、未来を生きていくぞ!という意志。
自分の幸せ、自分以外の誰にも委ねない。


こんなふうに宇多田ヒカルは、自身の精神観の成熟を、繊細な言語と音、時にはトラップのかかったビートに乗せて表現して届けてくださっています。。ありがとうございます。


上記では精神観の分析をしましたが、リズム感と韻の踏み方も、完全に日本人離れしていて、宇多田ヒカルだからこそ。

※私が1番聴きながら気づいて感動した部分は、
「気分じゃないの(Not in the mood)の一節。
今日は気分 じゃ、なぁ〜っいの〜
「じゃっなぁ〜っあぃ なぁ〜っあぃ の〜」と
I'm not in the mood today〜
「I'm(なぁ〜っあぃ)、I'm(なぁ〜っあぃ)、not(の〜)
同じリズムかつ同じ意味の、日本語と英語で韻を踏んでいる!!!!!😢
天才すぎやしませんか。。。宇多田ヒカルだからこその神技です。


おわりに
時代ごとの精神観の変化を分析してきましたが、
どの時代の楽曲にも共通している精神観は、「諸行無常」であると私は思う。
全てのものが例外なくいつか終わりを迎える。
だからこそ、終わりへの自由意思の尊重と儚さを受け入れて、今を生きる自分の感情を大切に、自分と他人の境界を超えた大きな愛情とともに 私が納得のいく未来を歩もうという強い意志を感じる。

そのしたたかさに、私は美しさを感じるのです。

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