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シヴァナンダ・アーシュラムでのサティヤ・サイババとスワミ・シヴァナンダ

バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイババが、インド・ヒマラヤのリシュケシュにあるシヴァナンダ・アーシュラム(ディヴァイン・ライフ・ソサイエティ、DLS)   http://www.dlshq.org/   に2度訪問しています。

最初の訪問は 1957年、スワミ・シヴァナンダと霊的議論を交わし、サットサンガを楽しまれ、1週間ばかり滞在しました。サイババはシヴァナンダ・アーシュラムを『霊的静寂を得るためのふさわしい場所』と祝福しました。インドで数多くあるヨガのアーシュラムの中で、サイババがこれほど祝福したのは、シヴァナンダ・アーシュラムだけでした。

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スワミ・シヴァナンダはサティヤ・サイババのことを「バガワン(尊神)」と呼んでいました。スワミ・シヴァナンダは毎晩、英知に満ちた霊的会話をサイババと交わし、サイババのメッセージを一同に伝えました。そして、 スワミ・シヴァナンダは、ナーマスマラナム(神の御名を唱えながら、御姿を想い浮かべる)の大切さを何度も伝えました。

スワミ・シヴァナンダの『自分を傷つける人をも愛しなさい』という教えは、サイババ『すべてを愛し、すべてに奉仕しなさい』、『常に助け、決して傷つけてはいけません』の教えとまったく同じです。

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スワミ・シヴァナンダはある日、暴漢男に襲われたとき、警察に突き出したりせずに、ジャパ(神の御名を唱える)の大切さを教え、帰りの交通費まで与え許しました。スワミ・シヴァナンダは教えを説くだけでなく、自ら実践していました。まさに『思い・言葉・行動』が常に一致していたので、聖者として歴史にその名を刻みました。

サティヤ・サイババも、帰依者たちに紛れ込んだインド人女性に殺されかけました。彼女は、サイババのアーシュラム内で、プラサード用の大量のワダ(豆粉を使ったドーナツの形にして揚げたスナック)に毒を盛ったのです。すべてを、ご存知のサイババは、帰依者を守るため、大量のワダを帰依者に全く与えず、帰依者がガッカリしていている目の前で、全部食べてしまったのです。当然ババは痛みでのたうち回りましたが、自らの神聖意志で回復しました。毒を盛った女は捕らえられましたが、サイババは彼女を許して自らのアーシュラムの住居に住ませ、サーダナ(霊性修行)をする機会を与えたのです。

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サティヤ・サイババがリシュケシュのシヴァナンダ・アーシュラムに訪れた当時、スワミ・シヴァナンダは体調があまりよくありませんでした。そんな状況でも、スワミ・シヴァナンダはサイババのために、庵(いおり)に招待したり アーシュラム内を案内し続けました。

その様子を見てサイババは、スワミ・シヴァナンダのために、もっと健康になるようにと毎晩、ヴィブーティ(神聖灰。肉体的・精神的・霊的病の薬。求道者に「すべては儚く神だけが真実」であることを悟らせるための象徴。身体につけたり、飲んだりする)と、果物を物質化して与えました。さらにサイババは目の前でガンジスの水を手に取り、その水をアムリタ(甘い蜜)に変えて、スワミ・ シヴァナンダに薬として与えました。そのおかげで、スワミ・シヴァナンダの健康状態は日ごとによくなったそうです。


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サティヤ・サイババの2 度目のシヴァナンダ・アーシュラムの訪問は 1982 年、スワミ・シヴァナンダのマハーサマーディ(肉体から魂が離れる)後ですが、当時 DLS の総長だったスワミ・チダーナンダを祝福されています。

現在、世界にはシヴァナンダ(Sivananda)の名がつく組織がいくつか存在し、中には問題を抱えている組織が存在するのも事実です。 しかし問題はあくまでも、その組織とそれにかかわる人間にあるのであって、スワミ シヴァナンダの根本の教えであるディヴァイン・ライフ(神さながらの生活)、つまりヴェーダの教えは不滅なのです。

スワミ・シヴァナンダの教えを実践する組織に『ディヴァイン・ライフ・ソサイ エティ(DLS)』があります。『シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダンタ・センター』ではハタヨガを中心に教えていますが、DLS では、出家僧が常時何人かいて、瞑想やバジャンやマントラ詠唱や聖典の学習やカルマ ヨーガなど修行をしています。

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スワミ・シヴァナンダのお弟子さんであった、スワミ・サッチダーナンダは DLS にいた頃、ディヴァイン・ライフ・ソサイエティのインド全国大会を牽引しました。ちなみに、スワミ・サッチダーナンダとスワミ・サダーナンダは、サティヤ・サイババに敬意を表し何度もダルシャンを受けていました。

スワミ・サッチダーナンダは、南インド・コダイカナルの湖畔にあるサイババのアーシュラムに同行したこともあるそうです。確か1950 年代でしたがヴェンカタギリでのディヴァイン・ライフ・ソサイエティ全国大会の会議にサティヤ・サイババが招かれた時のこと、スワミ・サッチダーナンダもスワミ・サダーナンダも体調が思わしくないスワミ・シヴァナンダを、サイババが治してくれることを、心から願っていたそうです。サイババがリシュケシュのシヴァナンダ・アーシュラムを訪れたのは、このふたりの僧侶の願いを叶えたからかもしれません。


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サティヤ・サイババは、ヴェンカタギリの会議で、並みいる王族や出家僧たちや聴衆に、まるで外者のように軽くあしらわれた様子でした。彼らのエゴ高々の渦巻く疑念や不信の中、サイババは講演ではっきりと、太古のヴェーダの叡智を一同に目覚めさせました。その時のサティヤ・サイババの 講話を少し紹介します。

『あなた方は、サイババが今日の会議に出席すると発表しただけでした。前もって、話して下さいとなんて言いませんでしたね。ですから私は何も話さなくてもよいのです。しかし私は形式にこだわることはありません。私はあなた方のものであり、あなた方は私のものなのですから。私は招待してもらう必要すらないのです。あなたと私の関係は、外的なものではなく、霊的な領域で深くかかわっています。私はあなた とともにいます。...ディヴァイン・ライフ・ソサイエティは人々に対し、彼らの元々の実在である神性を気づかせようと努力しています。神性は人の固有の本性であり、どの人間にも内在しています。...絶対実在によって維持されていないものはなく、普遍者を示さぬ名前はありません。いっさいのものに、この原理は浸透しています。すべての名前は、神の栄光を放つ属性です。...今、事務局長が、いかなる人も4アンナ払えば、この団体に加入することができると発表しました。私が提言したいのは、4 アンナではなく、 4 つのグナ(属性)を支払う能力を持つ人すべてが、メンバーになってほしいのです。サティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャンティ(平安)、プレーマ(愛)の 4 つを所有する人なら皆、この会員になる資格があります。 グナ(属性)を無視し、アンナ(金)について考えるべきではありません。...理想を掲げて先頭に立つ人は、ほ かの人にその道を行くように勧めると同時に、自分がみずからそれに達せねばなりません。...何よりも大切なことは、神を呼ぶ人々を嘲笑したり、やる気をなくさせてはならないことです。彼らがそれによって得る歓喜を、みじめさに置き換える権利を、あなた方は持つのですか。または、信念を疑念に置き換える権利があるのですか。霊的愛を実践し、発展させ、あまねく広めなさい。そうすれば、今日はびこっている憎悪と嫉妬心は消えてなくなります。それがディヴァイン・ライフ・ソサイエティの使命です。』


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会議の後、スワミ・サッチダーナンダは、個人的にサイババに呼ばれました。スワミ・サッチダーナンダがかつて神聖奇跡のヴィジョンを体験し至福を味わったことを指摘し、ゴールが近いのに道からさまよい出たことで、サイババはスワミ・サッチダーナンダを叱りました。

どんな出家僧であっても、欲望から完全に解き放つことは至難の業です。一時、スワミ・サッチダーナンダが道にそれても、慈悲深い神様 は、赤ちゃん猫を口にくわえて移動する母猫のように、安全な場所に連れていってくれます。

サティヤ・サイババは、常にスワミ・サッチダーナンダとともにいて、彼を導くと保証しました。サイババが恩寵の証の品を授けようと物質化しようとした時、スワミ・サッチダーナンダは、サイババの手をつかんだそうです。そして、 スワミ・サッチダーナンダは「私はあなたと共にいて頂きたいのです。あなたが与えてくださる貴重な物品の中で、もっとも貴重なのはあなただけです。」と言いました。泣きたくなるくらい、神聖で優しいやり取りでした。スワミ・サッチダーナンダとサティヤ・サイババはいつもひとつだったのです。サーダナ(霊性修行) を実践している時、高尚な方々さえエゴや欲望にまかせて、心ない言動をするのを目にすることがあります。そんな時、決してぶれずにサイババと契りを結んだスワミ・サッチダーナンダのような純粋な高尚な魂は、今も多くの求道者に霊的インスピレーションを与え続けています。


*参考文献:

『黄金の宇宙卵』(サティヤ・サイババ述、若林千鶴子・訳)

『愛の神』(N・カストゥーリ著、 秋山梨影子・訳)

『サッティアム・シヴァム・スンダラム(真・善・美)1 (N・カストゥーリ著、若林千鶴子・訳)』 (シュリ・サティア・サイ出版物日本刊行センター・刊)


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