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私はサティヤ・サイババを、アーシュラムのダルシャン(拝謁)会場から、追い出したことがあります。もう26年前の出来事ですが、初めて南インドのプッタパルティのサイババのアーシュラムで、やっと自分のグル(師匠)に会えた瞬間でもありました。

あの頃、そう1994年当時は、TVや雑誌で『現代の神の化身サイババ』、『末期ガン患者やエイズ患者を治癒するサイババ』、『サイババの写真から、神聖灰やアムリタ(甘露)が溢れ出す奇跡』、『本人しか知らない過去を透視』などと話題になってました。

私はあの時、「世界にこんな神様のような人が存在するんだ、これが真実なら凄いことだなあ。」と、サイババに惹き込まれていきました。それから、サイババに実際に会い話をした医学博士の青山圭秀さんの著書『理性のゆらぎ』を読み、過去の自分の奇跡の体験と、サイババの優しく深淵に満ちた言葉が、シンクロしていくのを感じました。これは絶対、サイババには何かあると確信した瞬間でした。そして、著書の中で「(青山さんが「あなたは神ですか?」と質問すると)私だけでなく、あなたも神なのです。」というサイババの言葉に惹きつけられ、インドでサイババに会いに行こうと決意しました。根拠はないけれど、サイババは私の存在理由を絶対教えてくれる、そう確信したからです。

サイババのアーシュラムに訪れて最初のダルシャンでびっくり仰天、くじ引きでなぜか、サイババがすぐ目の前を通る最前列の席を座ることになりました。「サイババに会って何を話そう?」いきなり初日でサイババに会える緊張と興奮の中、いよいよサイババが私の席の前までやってきました。そして、サイババが私の目の前で立ち止まりました。「こんなに小さい体なんだ。」それが最初の印象でした。サイババはすぐ私の目の前で、私の周囲の人たちの手紙を受け取ったり、ヴィブーティ(神聖灰。飲んだり塗ったりすると病気や不具合が治癒したり、または霊的に覚醒したりすると言われている)を物質化してインド人に与えたり、すぐ後ろの西洋人の女性と話をしていました。その時のサイババの声は、まるで赤ちゃんをあやすような優しい声でした。私は今この瞬間で繰り広げられている光景に釘付けになり、サイババに話しかけるどころではなくなっていました。あっという間に、最初のダルシャンを終え、1つ1つのサイババの言動の意味を反芻していました。そして、世界中から毎日何千人という人々が会するアーシュラムで、確実にサイババに自分の想いを素直に伝えるために、手紙を書いて渡そうとしました。

最初のダルシャンから7日目間、毎日ワクワク、ドキドキしながら、サイババへ渡す手紙を持ち、ダルシャンを受けていました。ところが、1週間経ってもサイババが手紙を受け取れる距離の席にいたにもかかわらず、一向に手紙を受け取ってもらえませんでした。それどころか、私の存在など無視しているように、素通りしていき、ショックと不安に陥りました。

「なぜ、サイババは私を無視してるのだろう?もういい加減に、私がここに来たことの意味を、サイババに教えてほしい。」と私はしびれをきらしていました。

その状態は次第に感情の抑制がきかなくなっていき、怒りの感情へと変わっていったのでした。ここ1週間サイババは人々の間を歩きまわり、手紙を受け取ったり、ヴィブーティなど空中から取り出して来場者に与える、その繰り返しの毎日でした。私は考えるようになりました。


「私はここで何をしているのだろう。どうしてここへ来たのだろう。私にとってサイババとは何なのだろうか?」

「サイババよ、あなたは本当に神なのですか?」

そんな疑問が私の中でふつふつと沸き上がり、これを確かめなければ、私は壊れる、それ位切羽詰まった状態でした。
 
その日の私はサイババがすぐ目の前を通る通路の角に座って、サイババが来られるのを待っていました。いよいよサイババがこちらへやって来た時でした。「心からの祈りは、必ず神に届きます」とサイババは言っておきながら、私の願いが一向に受け入れられないもどかしさ。そのもどかしさは次第に怒りへと変わっていき、私のつま先から頭のてっぺんにまで達していました。そして、ついに私はとんでもない行動へと出たのでした。

朝のダルシャンの音楽が鳴り始め、サイババがゆっくりと姿を現した時でした。それからサイババが私のすぐ目の前をさしかかった時、私は全身全霊を込めて、心の中で叫びました。 


「帰れ!もしあなたが神であるのならば、私の声が聞こえるはずだ。だったら私の声がちゃんと聞こえてる証拠を示すために、今出た自分の家に戻れ!そしてもうここには来るな!」 


乱暴な言動ですが、それが私にとっての精一杯のサイババへの近づき方でした。

驚いたことに、私のすぐ目の前をサイババが通り過ぎた時、奇妙な行動を取り始めました。いつもなら女性コーナー、そして男性コーナーをくまなく回り、それからご自身のインタビュールームへ向かうはずでした。ところが、その時のサイババはそれを一切行わずに、私の目の前を通り過ぎてからすぐにUターンし、今出られたばかりの住居に戻って行きました。ざわめき出す観衆に「待ちなさい。」と言わんばかりに、右掌を下向きにして上下させて歩きながら、サイババの姿はすべての観衆の視界から遠ざかり、完全に消えてしまいました。

サイババがいなくなったダルシャン会場で、 1分、3分、5分、10分と時間がやけに重く辛く感じられました。まるで私が時間の暗闇に取り残された、そんな感じでした。

「まさか私の声を聞いて、本当に出て行ってしまったのか?」満ちてくる確信に、不安がこみ上げ重くのしかかりました。

「こんなちっぽけな私の願いをサイババは受け入れたのか…」

「もしそうであれば、私がこんなわがままなかたちで神にお願いしたばかりに、重病をかかえている何人もの人々や、お金がないのに無理してここへ来た多くの外国人が、何年も待ち望んでいたダルシャンを、私が奪い取ってしまったのだ。」

そう思った瞬間、私の腹の奥底から重く深い罪悪感がこみ上げてきました。なんて取り返しのつかないことをしてしまったのか、私は溢れる涙を止めることができませんでした。私は自分の中で、心の整理をするので精一杯でした。何が悪かったのか、これからどうすべきか、あれこれ考えました。それからすぐに、正直で純粋な想いで、私は心から祈りました。

「ごめんなさい。神様、サイババよ。私はあなたに対して愚かにも、2つの大きな罪を犯してしましました。それは神を信じていなかったこと、そして冒涜に等しいくらい神を試したということ。この罪はいつか大きな代償を払わなければならないでしょう。ほかの兄弟姉妹の時間や安らぎをも犠牲にしてしまい、人々に苦痛を与えてしまいました。覚悟はできています。どんなことも受け入れます。良い子になります。ごめんなさい、私が間違ってました。どうかお許し下さい。サイババよ、お許し頂けるのならば、どうか再び人々の前に、姿を現してください!」

お祈りしながら、私は目を開けてサイババが行ってしまった方を見ました。するとすぐに赤いローブに身を包んだサイババが再び、こちらの方向を歩いて来るではありませんか! そしてさっきと同じく、私のいる角に差しかかると、サイババはすぐさま、悪い事をした子供を親がなだめるように、まっすぐと強い眼差しで私を2度見ました。その表情には怒りのかけらさえなく、優しくまさに慈悲そのものでした。すべてを与え許します!そんな言葉さえ聞こえてくるようでした。 私は浄められました。やっと、神の存在を信じられる、自分を信じられる、そう確信しました。私は神を知るために今まで生きてきたのでした。 

この出来事が、私がサイババをグルとして崇め、神として信じるきっかけでした。そうして、私は、サイババを通じて、インド最古の聖典ヴェーダの御教えを学び実践するようになったのです。

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!