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食物に関する真実について、サティヤ・サイババの講話

ベジタリアン(菜食)を実践しているヨーギ(ヨガ実践者)やサーダカー(霊性修行者)にとっては、かなり衝撃的な食物に関する真実のお話です。サティヤ・サイババは、食物や食事の規律は厳しくしています。

菜食をすると決めて最初に行うのは、肉食など動物系の食物を避けて、穀物や野菜中心の食事をします。次に添加物や農薬など食物に含まれている毒性を排除して、純粋で安全な食物の材料を確保します。さらに、霊的な高みを目指す方は、食物を扱う人や食器や同席する人や環境など、それらの波動を細かく分析して、霊的な悪影響を避けます。そして、究極的には、食事じたいに執着せず、神実現や解脱のための生命維持のためだけに、調理しない自然のままのエネルギーに満ちた食物をわずかに口にします。これらの過程を、敬愛するバガヴァン シュリ サティヤ サイババはわかりやすく説明されています。

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『身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。』

『口にする食物は、材料と集める人、料理人、給仕人が発散している眼に見えない邪悪さに影響を受けていない、清らかな食物でなければなりません。食物を取り扱い、料理し、給仕する者の思考プロセスが波動として食物に取り込まれ、それによって食事の質が決まります。共に食事を摂る者、場所、料理の容器、料理人や給仕人の心を乱している感情、これらのことすべてが、完成した料理を食べる者の性質と感情に微妙な影響をもたらします。料理に用いられる容器、料理を盛る材料、料理の過程、この3つについて清浄を確保しなくてはなりません。食材が清浄で品質がよいだけでは充分ではありません。食物を口にするときの同伴者、場所、調理器具、その料理を作ったり盛りつけたりする人間のかき乱す感情、これらのすべてが、その料理を最終的に摂取する者の性質や感情に微妙な影響を及ぼすのです。容器、料理素材、料理の過程の清らかさが守られなかったとしても、その食物を口にする前に、まずパラマートマ(神)に捧げるなら、その料理は清いものになります。あなたが食べる食物がまず最初に、神に捧げられるならば、それはプラサード(神からのおさがり)となり、その食物に悪いものが含まれていたとしても、それらはすべて取り除かれます。それゆえ、神に捧げられた適量で浄性の食物によって、私たちは浄性の心を持つことができるのです。食物は公正な手段で入手されたものでなければなりません。不正、不法、不実で得た収入で生計を立ててはなりません。私たちは、悪い方法で蓄積された富の助けで人生を進めても、その人の中の善は身体の中を流れる悪い血によって埋没されてしまうという教訓を私たちは学ばなければなりません。食器は清浄で汚れていないようにしななればなりません。給仕する人は、単に清潔な衣服を着るだけでなく、生活習慣や人格、振る舞いにおいても、清らかでなければなりません。そして給仕する人は、憎しみや怒りを抱かず、朗らかで、そしてさわやかでありなさい。そして謙虚で愛に満ちていなさい。愛情をこめて料理された笑顔と共に供される食事は、滋養に富み、力を含んだものになります。食事の場に居合わせる時には、邪悪な考えや不道徳な考えを心に住ませてはなりません。食事をしているときは、心を静かに平安に保つことは非常に大切です。食事中に心に動揺や興奮を与えたり、心の平安を乱すような議論にふけってはなりません。食事中には一切の悪い感情に屈してはなりません。想いがこもる食物のような贈り物を受け取る際には、その出所や贈られる動機や、贈り手の感情のうねりや揺れを確かめる必要があります。人間が口を通じて得るカロリーは、人間が摂取するもののほんの一部でしかないからです。感覚によって摂取されるものが、個人を形成する食物の一部分を占めます。聞く音、見る光景、触ったり触られたりする感触、呼吸して取り入れられる空気、気持ちや意見や決定を表現せねばならない環境、それらすべてが食物なのです。これらは個人の性格や活動に大きく影響します。好む食物の属性が異なる場合、それぞれの間に仲間意識が育つことは難しいといえます。こんにち人々がかかっている病気の多くは、不正な手段によって得られたものや、性格に問題がある料理人の悪い波動によって汚染されたものを食べるのが原因という事実です。世界の混乱と平安の欠如はすべて、私たち自身の食習慣にその原因を帰しているといえます。特に現代の状況では、これらのすべての点で、またいついかなるときでも、そのような清浄を確保することは、まったく不可能と言わなくても、極めて困難なのです。』

『幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。』

*参考 : 『プラサード - 食物に関する御言葉集 - (サティヤ サイ ババ ・述)』(サティヤ サイ 出版協会)


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1981年9月30日、シュリ サティヤ サイ 総合病院のシルバー ジュビリーというイベントがプーナチャンドラホールで開催されました。バガヴァン ババはこの日の講話で、正しい視点で食べ物を調理することの重要性を説明されました。また、怒りやうぬぼれが私たちの神経系や消化器系に及ぼす悪影響についても説明されました。

『健康は、人生のあらゆる面で成功するための必須条件であり、人間を導くべき4つの理想、すなわち、道徳的な生活、繁栄、有益な欲求の充足、悲しみからの解放を実現するために必要なものです。人間はどこでも幸せで平和な生活を求めていますが、幸せや平和は世俗的な活動からは得られません。幸せと安心を求める肉体は、病気や腐敗、死にさらされています。しかし、肉体の中の住人である自己は、生まれることもなく、死ぬこともありません。それはアートマ(神)です。身体は神の神殿です。それゆえ、神殿を良好な状態に保つことは人間の義務なのです。 健康は、現世と来世を得るために、現世と来世の進歩を得るために、そして、自己がこの人間の形で自らを具現化した目的、すなわち、自己の源であるパラマートマ(神)を認識し実現するために必要なのです。この目的を達成するためには、健全な肉体に、健全な精神の助けを借りて、正義、繁栄、道徳的欲求、そして悲しみからの解放という理想を実践しなければなりません。 健康を害する主な原因は何ですか?地球上には何百万もの生物が生息しています。彼らは、自然が与えてくれた食物を利用して生活しています。しかし、人間だけは例外です。人間は、自分の味覚やその他の感覚を満たすために、自然から与えられたものの組成や特徴を変え、煮たり焼いたり混ぜたりして、生命力のない調合品を作ります。鳥や獣はそのような破壊的な方法をとりません。生で食べて、生命力のあるエッセンスを摂取します。そのため、人間が自分自身にもたらす多くの災いの犠牲になることはありません。

邪念は不健康の原因です。茹でた豆を土に植えると、芽が出ません。それでは、生きている人に命を与えることはできません。貴重な成分であるビタミンやタンパク質は、口当たりを良くするために調理される間に破壊されてしまいます。体内の何十億もの細胞は相互に依存し合っており、一つが弱ったり傷ついたりすると、すべての細胞が被害を受けます。すべての手足や臓器が維持しなければならない限界とバランスがあります。不足した食べ物や不適切な食べ物は、このバランスを崩します。たまに出る咳は、肺を強化し、余計なものを排除するのに役立ちますが、発作的な咳は進行中の病気の兆候です。

適度に食べて長生きしなさい。これは、昔の先人たちが伝えてきたアドバイスなのです。しかし、この忠告はほとんど聞かれていません。ご馳走の皿の前から立ち上がるのが困難なほど、大量の食事で満たされているのです。豊かな人々は、重くて豊富な食べ物を食べて消化器官を壊し、高価な宴会を開いて自慢しています。身体の健康が最大の宝であることを知っている人は、サートウィック(浄性)な食べ物を食べることに細心の注意を払います。調理されていない食べ物、木の実や果物、発芽した豆類などが最適です。少なくとも1回の食事、例えば夜食にはこれらを使うようにしてしましょう、そうすれば長生きできます。そして、長生きは、その年月を同胞のために使うために努力しなければなりません。

よこしまな想いは健康を害します。不安、恐怖、緊張もその原因となります。これらはすべて、権力や名声などより多くのものを手に入れようとする貪欲さから生じます。貪欲さは悲しみと絶望をもたらします。満足感は、精神的な渇望からのみ得られます。世俗的なものを求める気持ちは捨てなければなりません。「自分の仕事」と「神のための仕事」を区別してはいけません。すべての仕事は神への礼拝でなければなりません。どんな報酬であれ、それは神の贈り物です。それは私たちの永続的な利益のためです。この姿勢が身についていれば、苦しみや痛みは私たちを強くし、神性に向かって前進する助けとなります。 痛みによって喜びを得ることができます。闇は、光を理解するのに役立ちます。死は、生を愛することを教えてくれます。人間を苦しめる病気は数多くありますが、その中でも、憎しみ、妬み、エゴイズムは最悪です。ほとんどの人がこれらの病に苦しんでいるため、医者でさえ治すことができません。これらの病から解放されたいのであれば、静寂と沈黙を身につけるべきです。卑劣で悪質な話を聞こうとしないこと。このような傾向は、心が病んでいることを示しています。聞いたことは、カーボンコピーのように、耳を通して心に刻み込まれます。この悪しき習慣に溺れることは、自分自身を傷つけることになります。

食生活に気を配りなさい。怒りも健康の敵です。怒りは血流に毒を注入し、体にダメージを与える大きな変化をもたらします。隣人だった二人の女性が、ほんの些細な出来事で争いを起こし、敵対するようになりました。一方の女性が飼っていた牛が、道路を走っているときに、もう一方の女性の家の前に糞を落としてしまいました。牛の飼い主はその糞を取りに行きましたが、もう一人の女性はその糞が自分の家の前に落ちていたので自分のものだと主張しました。その言葉から、二人は危うく殴り合いになるところでした。その時、相手の女性の小さな赤ちゃんが揺りかごから泣いていました。彼女は急いで赤ん坊にミルクを与えようとしましたが、赤ん坊が母乳を吸い込んでいる間、彼女は隣人に向かって猛烈に叫びました。彼女の怒りは彼女の血液を汚染し、子供は彼女のミルクを飲みながら死んでしまいました。

健康を害するもう一つの原因は、悪徳と下劣な行為です。人々は、邪悪な人が病気になるという必然性はないと考えていますが、ほとんどの病気は、根本的には精神的な病気です。医者も患者に優しく接し、仲間のために尽くす職業であることを忘れてはなりません。善い考えと善い行いで健康を維持するのが一番大切です。食生活に気を配るのがまず一番大切です。ココナッツカーネル、ココナッツウォーター、発芽豆類、未調理または半調理の野菜、青物などが健康に良いのです。 医者に頼らず、長生きすることを真剣に考えなさい。

医者は、ある注射を打つと、その反応を打ち消すために別の注射を用意しています。一つの病気を治そうとしても、何十もの病気を引き起こします。しかも、彼らが勧める薬は、メーカーが一攫千金を狙っているため、ほとんどが偽物なのです。ほとんどの病気は、簡単な生活、簡単な運動、そして知的な舌のコントロールによって治すことができます。長生きして、何年も何年もアバター(神の化身)のキャリアを目撃するようにしましょう。』

参考 :
https://sathyasaiwithstudents.blogspot.com/2021/09/the-silver-jubilee-of-sri-sathya-sai.html?m=1

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!