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お遍路ウォーキング日記(104:三十八番金剛福寺へ ⑪)

【2024年4月17日(水曜日) Day 104】

 昨日はまだ四万十大橋の手前にいたが今日はすっかり橋も渡り新伊豆田トンネルに入ろうかと言うあたりにまで来ている。

 四万十市はかつては中村市とも呼ばれていた。中村市の頃から今の四万十市のほとんどをカバーしていたが平成大合併の時に四万十川の中流、西土佐村と対等合併をして四万十市という新しい自治体が誕生している。合併後に新しい名前になった自治体はすべて対等合併で、どちらかが吸収されたわけではない。今の四万十市はお遍路文化の強い中村と遍路道からは遠く離れた遍路文化のない西土佐が一緒になっている。中村の人は遍路を大切にするが西土佐の人はそういった考えが全くない。

 初めて中村に来た時、夕暮れ時で泊まる宿もなく野宿をしようと決めたが、泊まれそうな場所もなく四万十川の河川敷にある東屋の前にテントを張って野宿をした。その日はどうしても風呂に入りたかったのだが四万十川の河川敷は思いのほか人通りが多くて結局テントを置いて町へとは行けなかった。

 最初に道を訊ねた人に東屋の存在を教えてもらったが、その人は「中村に悪いモンはおらんから荷物置きっぱなしでも大丈夫だ。」と言っていた。とは言っても河川敷は結構な人通りでやっぱりここに荷物とテントを放置はできなかった。

 その日の晩は結局風呂にも入れず、川沿いで湿気も高くてとても眠れなかった。東屋から満月が昇るのをじっと見ていたのを覚えている。そして翌年も同じ場所で野宿をした。確かに中村に来ると落ち着くというか、一晩ゆっくりと休める安心感はあり、確かに中村の人はフレンドリーたという印象は今でもある。

 方や西土佐は… 敢えて書かなくてもいい。ここへ行くことは二度とはない。

 そんな思い出も今となっては昔の話だが、札所三十七番と三十八番の間の長距離移動の際には中村の町は非常に便利で、これまでに野宿を含めて何度となく泊まっている。というよりはこの区間を一気に移動した事など一度か二度くらいしかない。

 アプリ「お遍路ウォーキング」のルートではそんな中村の町は通らず、黒潮町から海岸沿いに近いルートを通り四万十大橋を渡って次の札所に向かう。実際にその通りに移動する人はいるのだろうが、かなり多くの人は中村で投宿して日を改めて足摺岬を目指すのではないだろうか。

 この先四万十川から離れてかつての難所であった伊豆田超えをすべく新伊豆田トンネルに入る。トンネルの向こう側はいよいよ土佐清水市だ■


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