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入院日記1 7週目 10月2日

  ついに入院も7週目に入ってしまった。おそらくは腰の痛みがなければそろそろ退院のはずだった。今朝もまた採血で起こされた。検査できるものはしておきたかったのだろう。

 ここ数日同じようなことを書いているような気もするが、腰痛は目覚めと共にやってくる。目覚めてもじっと動かなければ腰痛もない。動くと共にスタートする感じだ。

 これも毎日書いているが今日も腰痛は容赦なかった。いつもはリハビリのある午前中を中心に痛むが、今日は午前中は大したことはなかった。リハビリの後は小一時間ほどデイルームで座ってPC作業などしていた。デイルームの椅子は座りやすくて病室のベッドに腰掛けているよりもずっと楽である。

 もうひとつデイルームにいく理由は同じ廊下に24時間叫び続ける婆さんがいてそれがとにかくうるさいからだ。おそらく付近の病室の人はほぼ寝不足になっているはずだ。ここに来て超弩弓の狂人がいるため、あまり部屋には居たくないのである。

 以前も書いたが病棟では絶対に他の病人とは関わらない。自分も一度ひどい目に遭ったし、関わってロクな事など一切ない。病棟にいるのは自分以外狂人か人事不省、または病院の職員のどれかだと常々思っているし、それでいいとも思う。逆に自分もできることなら狂人か人事不省とでも思われていた方が楽だ。

 昼食後腰に再び痛みを感じてきたので歩行訓練を短めに済ませ、そのあとは再びデイルームで今度は写経をしてブログの更新もした。ここまではいつもよりも順調だった。

 その後シャワーを浴びるのだが、ここでどんどん腰の痛みが強くなってしまう。シャワーを浴びてさっぱりしたが代わりにこれまでにないほどの痛みが(と言うよりは入院前のあの痛みが)やって来た。坐薬の鎮静剤をすぐに使ったがもはや効き目もわからない。もう座っているどころではなく虫の息で寝ているしかなかった。

 そこにレントゲン撮りますよと声がかかる。何というタイミングだか、とても動けないがこう言うのを後回しにするのが大嫌いなので車いすで運んでもらうことにした。このところCTでもレントゲンでも自分ひとりで行っていたから何という劇的な退化だろう。本当に情けなく思えてきた。

 もう退院も目前にしてあれがしたいこれがしたいと楽しみに考えていたことが目の前から離れていくのがよくわかった。対岸の世界は日を追うごとに遠くなっていく気分だ。

 妻がやって来た時、ちょうど夕食時でもあった。話題というとこのところの病状の起伏が主たるものだろう。 

 夜になって担当医二人に呼ばれカウンセリングがあった。確かに感染症は陰性になってそれはそれで一つの目標達成だったが、代わりに言われたことは骨の壊死が進行していて、ボルトが入っている骨にまで影響を及ぼしているということ。これまでの動き方が仇となっているようで、壊死がこのまま進む可能性もあるらしい。それは自分の動きが脆くなった骨を壊しているということで、これがかなり深刻な状態らしい。すぐに思い当たったことが過度とも言える歩行訓練だった。退院後すぐに社会復帰ができるようとにかく歩き、その速度も速めだったこと。これしか考えられない。やっぱり手術後は安静にして徐々に運動量を増やさなければならなかったのだ。

 さらに強いコルセットを作るか、胴体を固定させるギプスを巻くなどの対策を講じた方かいいらしい。さらに強いコルセット、なんだ、自分が今つけている「ブリキの樵」が最強じゃなかったのか。

 なんだかそんな現実をたたきつけられると本当にこの6週目、7週目はこれまで快方に向かうはずだった自分の望みが悉く打ち砕かれていくような気分だ。というよりは自分がよかれと思った浅はかな行動で全て打ち砕いていたことになる。

 とりあえずは動きに細心の注意を払う事でこの週末を乗り切ることになった。具体的には寝起きの動作、座っているときに前後に動かない(シャワーなどはまさにこれである)などて、座っている姿勢を無理に続ける必要はないようにも思えた。明日の狂った婆さん次第かな■

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