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お遍路ウォーキング日記(160:五十二番太山寺へ)

【2024年6月13日(木曜日) Day 160】

 現在地は松山市中心から北部に向けて進んでいる。次の札所五十二番太山寺までのちょうど中間くらいの位置にいる。

 今日は昨日打った札所五十一番石手寺について書こうかと思う。

 この寺は8世紀に伊予の太守だった越智玉純おちのたまずみが夢で25の菩薩がこの地に降りてくるのを見て熊野権現十二社をこの地に祀った事から始まる。国家守護の道場が建てられ、後に聖武天皇の勅願所となる。そこに行基菩薩が薬師如来を彫り安置して「安養寺」という寺が建立された。安養寺は当時栄えた法相宗だったが後に弘法がこの寺を真言宗に改宗。

 弘法が安養寺を改宗させた80年後くらいに伊予国司の河野家に左手が開かない男の子が生まれた。やがては国司を継ぐその子の左手を案じて国司が安養寺の僧に頼み祈祷により手を開くと「衛門三郎」と書かれた石を握っていたという。

 数日前に書いた衛門三郎の話の続きがまさにこれである。(是非読んでください)。弘法を探し追い求め、死に際に漸く弘法に詫びることができた衛門三郎の願いは半世紀以上経った後に叶うのだった。

 以後安養寺は石手寺と呼ばれるようになり、それがそのまま寺号となった。国司河野氏の加護を受け
大いに栄えるも天正年間の長宗我部元親による兵火により大半を焼失。本堂、三重塔、仁王門は残り後に仁王門は国宝、本堂と三重塔は重要文化財にまで指定されている。

 このお寺は今や松山市の祈願所の役割も果たし、正月の初詣には大勢の人が訪れるようになった。道後温泉から坂を上ればすぐの場所にあり市電という交通のアクセスの良さも相まって人の絶えない寺だ■



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