見出し画像

お遍路ウォーキング日記(125:四十一番龍光寺へ)

【2024年5月9日(木曜日) Day 125 】

 今日で漸く札所四十番観自在寺を打った。この寺を打つと言うことは距離的には四国八十八ヶ所巡礼の折り返し点を回ることでもある。というのも札所一番霊山寺から距離的に最も遠いのがこの観自在寺で、この寺は言うなれば一番、八十八番に次いで重要なポイントでもある。

 この寺について簡単に書こうと思う。この寺の所在地は愛南町御荘みしょう平城だが、愛南町という町は平成大合併で生まれた町である。中心の御荘町、先日通過をした一本松町をはじめ周辺の5町村が対等合併してできたものだ。

 それ以前この一帯は御荘と呼ばれ、札所のあったあたりは平城と呼ばれた。この平城は平城天皇のことをさす。観自在寺は弘法が平城天皇の勅命を受けて建立した寺で、その次の嵯峨天皇ともども勅願寺として重用された。この寺の山号も「平城山」と天皇から下賜されたものだ。そして平城天皇、嵯峨天皇ともに行幸され毎年勅使も遣わせて護摩供を修したことからこの地を「御荘」と呼ぶようになったという。ご当地の地名と寺の縁起がこれだけ密着している場所もそれほどないかと思う。

 しかし今では愛南町とどこからやって来たんだと言いたくなるような名前で呼ばれているのはある意味残念にも思う。

 ここのお寺は個人的にもお世話になり、キャンプ場やお風呂を世話してもらうなど本当に親切にしてもらっている。なので巡礼の度に挨拶もしている。ライダーだった頃、結婚前の妻を連れてきたこともあったし、結婚後わんこを連れても来ている。そのたびに僕のことを覚えてくださっていて暖かく出迎えてくれる。高知の札所を打ち終えてこの寺に行くのはとても楽しみでもある。

 最後にこの寺を打ったときは大先達の錦札を分けてくれてそれは流石に金庫にしまって大切にしている。実は錦札はここだけでなくわんこの行儀がとても良いとお寺の人に褒められて札所十七番井戸寺でも頂いたことがある。こちらは我々がもらったのではなくわんこ達が縁あって譲り受けたものとしてやはり金庫にしまってある。

 この観自在寺を出ると次は宇和島のはずれまで札所はない。御荘を出るとしばらくの間は左手に海を眺めながら先へと進むことになる。

 またこの愛南町は先日の地震で最も被害を蒙った場所でもある。何事もなくと願うばかりだが有名な石垣の集落などがかなりの被害を受けたと言うことだ■


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?