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お遍路ウォーキング日記(140:四十四番大寶寺へ ③)

【2024年5月24日(金曜日) Day 140】

 今日もギリギリで一万歩を超えた。だいたい一万歩歩くと自分の場合は7㎞ほど進む。すると昨日いた大洲市の北只交差点から東に7㎞進んだこととなる。

 そのくらい進むと市境を越えて隣の内子町にギリギリだが入る。

 先に書いておくがこの内子町はとにかく広く、次の町界を越えるともう札所のある久万高原くまこうげん町に入る。

 今日通過した大洲の町中に別格札所の八番、十夜が橋とよがはしがある。永徳寺というお寺だがここにある橋の下で弘法がひと晩過ごした時、上を通る人の杖の音がうるさくまるでひと晩が十晩かのように長く感じられた事からこの橋を十夜が橋と呼ぶようになったという。

 こうして橋の下で弘法が難儀した事からお遍路は橋の下には弘法がいるものだと考えるようになり、弘法の眠りを妨げてはいけないと言う理由から橋の上では杖をついてはいけないという決まりごとがある。

 そして今日はそんな十夜が橋をあっという間に通り過ぎてしまい内子町に入る。

 現在の内子町は南にあった喜多郡五十崎いかざき町と東にあった上浮穴かみうけな郡小田町の3町が対等合併し新設の内子町で、今日いる辺りは元から内子にあたるが、すぐ近くにはJRの五十崎駅や松山道の内子五十崎ICもある。

 今の新設合併の話にも喜多郡と上浮穴郡と今は使わない郡制を引き合いに出したが、異なる郡の町村合併は他にもあるにはあるがそれほど多いわけでもない。所変わると文化も変わり、文化の違いは平成大合併でも合併協議には影響を及ぼすことが多い。

 それでも内子町は新生内子町として今に至っている。

 この話はここから先の道のりに多少は関わりのある事らしいが気にしていなければ何ら影響もない。そのくらいかつての喜多郡と上浮穴郡は別々の習慣をもう異郷だったという話を聞いたことがある。

 宇和を出てから今日で大洲市も通り過ぎてしまったが、いろんな意味でもここから先の長さをここから既に感じている。

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