見出し画像

お遍路ウォーキング日記(146:四十四番大寶寺へ ⑨)

【2024年5月30日(木曜日) Day 146】

 ついにGoogle Maps非対応の場所に入り込んでしまった。これがしばらくの間続く。

 位置的にはいよいよ鴇田ひわだ峠を越え、その先の久万くま墓地に至までの間がほとんど非対応で真っ暗になる。できればさっさと通過したいところだ。

 ひとまず下狩場峠を越えて内子町から久万高原くまこうげん町へ入った。

 久万高原町は愛媛県内でも標高の高い場所で雪も積もるし夏場は他の場所よりもトンボが多く飛び季節が少しだけ先に進んでいるような感じがする。

 言い伝えでは弘法の世話をしたおくまという老婆の名前がのちにこの地方の名前となったと云うことだが、もっと広く「久万高原町」について書くとこの町名は平成大合併の時に中核となる久万町が上浮穴かみうけな郡の五つの町村のうち他の3つの村(面河おもご村、美川村、柳谷やなだに村)と対等合併して久万高原町となる。

 お遍路の話とは離れてしまうが上浮穴郡の残りの一つは小田村と言い、これは数日前に内子から小田川沿いを辿った遍路道のあの小田川のあたりで、隣の郡である内子町と合併している。

 元の面河村と柳谷村は石鎚山や仁淀川の源流などのある場所で四国巡礼とは少しだけ縁遠くなるが、石鎚山は実は札所六十番の横峰寺と縁がある。ただし横峰寺は石鎚山の向こう側なので久万高原町との繋がりはない。

 またかつての美川村は札所四十五番の岩屋寺のある場所で、車での遍路道で通過する父二峰の集落も美川村だった。

 札所を二つ持つ久万高原町にはしばらくの間いることとなるが、実はこの久万高原町の次の場所はいよいよ松山市である■

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?