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お遍路ウォーキング日記(200:六十六番雲辺寺へ)

【2024年7月23日(火曜日) Day 200】

 漸く札所六十五番三角寺を打つ事ができた。夏に入り歩数がめっきり減ってしまったのも原因だが札所六十四番前神寺からはやはり遠い。

 こうして燧灘ひうちなだ沿いの遍路道は終了。次からは内陸に入り山深いところにある札所を目指す。

 もう一つ「菩提の道場」と呼ばれる伊予の札所はここで終わり。ここからは国境を越えて次の札所へと向かうのだが、詳細については日を改めて書こうかと思う。今日はやっと打てた三角寺について簡単に書く。

 この寺は聖武天皇の勅令により行基菩薩が開創させた寺で、後に弘法が十一面観音菩薩像と不動明王像を彫り護摩壇を築いて国家の安泰を祈願した。その護摩壇が三角形だったことからこの寺の寺号になっているという。現在でも境内にある三角池の中の島がその護摩壇の跡とのこと。

 このころに嵯峨天皇から信仰を受けとても大きな寺になったという。

 しかしながら天正の大火によって堂宇を一部失い、19世紀に漸く復旧したという。

 昔よりこの寺は安産祈願の寺で、古くから庫裡にあるしゃもじを持ち帰ると安産になると言われ、こっそり持ち帰る妊婦が多かった。

 これをこの寺は見て見ぬ振りをしているとしゃもじを黙って持っていった妊婦が安産の折に新しいしゃもじを持って返しに来るようになったことから今では安産祈願のお守りとして納経所で授かる事ができる。

 自分の記憶が正しければこのお寺と六十七番大興寺のどちらか(またはどちらも)で、納経所が小銭を両替してくれたのを覚えている。お詣りの賽銭も八十八カ所の本堂と大師堂に入れていくとそれだけでかなりの額になるため、今でも恐らく小銭、それも五円玉や十円玉は貴重品になる。そこで札所の納経所でも両替をしてくれたのだが、銀行が小銭両替に手数料を取るようになってから見かけなくなった。

 このお寺はそんな中でも両替をしてくれたようなことを記憶しているが少し不確かなことなのでここまでにしておく。

 これからまたしばらくの間、次の札所に向かう旅が始まる■

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