お遍路ウォーキング日記(259:八十六番志度寺へ)
【2024年9月20日(金曜日) Day 259】
今日は札所八十五番八栗寺を打ったが、歩数はカウントされずまだ八栗寺にいることになっている。と言うことは八栗寺はGoogleマップのサポート外の場所で現在地は今日もまた衛星写真ということになる。
今日はこの八栗寺について簡単に書いてみようと思う。
寺伝では弘法がここで虚空蔵求聞持法という修行を終えたときに五本の剣が天から降り蔵王権現が現れた。弘法は降ってきた剣を山中に埋め、大日如来像を刻み山を五剣山と名づけ開基した。
当時は五剣山の頂上からは八つの国が見え、「八国寺」と寺号がつけられた。弘法が唐から帰って来た時に唐に渡る前に植えておいた焼き栗八つが生長していたので八国寺を「八栗寺」に改めた。
後に八栗寺は天正の兵火で全焼してしまうが、16世紀に無辺上人が本堂を再建。その後高松藩主松平頼重が本堂を再建し、聖観音を本尊とし観自在院と称するようになる。
この院号の観自在は般若心経にも登場する「観自在菩薩」の事だと思うが、般若心経の中では観世音菩薩ではなく観自在菩薩として一度だけ名前が登場する。尚、札所四十番の観自在寺も全く同じである。
この八栗寺のある五剣山は今の寺伝にも登場するくらい八栗寺との関わりは強い。八栗寺のある場所は五剣山の八合目だが、この山は登山が禁止されていて八栗寺よりも上は入山禁止になっている。理由は幾つかあるらしいがまずは聖域だということで入山を禁止にしておけばそれでたいていの人は納得するらしい。実際に八栗寺よりも上にはいくつもの祠が残されているとの話だ。
実際のところは頂上付近の岩盤が脆く、風化も進んでいて危険だということだ。こっちを全面に立てると危険な山を制してきた所謂「腕自慢」の登山家は却って登ってやろうと入り込むのだろうと思う。
五剣山の麓は採石場としても有名でその様子は琴電の八栗駅から八栗ケーブルカー駅に向かう途中でいくらでも見られる■
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