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お遍路ウォーキング日記(220:七十一番弥谷寺へ)

【2024年8月12日(月曜振替休日) Day 220】

 昨日一昨日に較べると歩数が少ない。これは今日隊長があまり良くなく歩くのを控えたからだ。朝から低血糖のような目眩がしたり、お腹の具合が悪かったりとここに来て心配事が増えているのだ。

 それでも札所をひとつ打った。香川県、讃岐国は涅槃の道場とも呼ばれていてここまで来るともう遍路としてのひととおりの苦労は経験済みで無我の境地へと邁進するかのような心境にいられるという。特徴は札所の間の距離がそれ程離れていない事。道もこれと言ったきつい遍路ころがしも少なくなり歩きやすい。しかし街中が大半を占めていて油断をすると道を間違え易いのもひとつの特徴かも知れない。

 今日は昨日打った札所六十九番観音寺について簡単に書くことにしよう。

 寺の縁起は神恵院とほぼ同じで琴弾八幡宮の別当寺として建立され、後に奈良興福寺を真似て琴弾山の中腹に作られた。つまり山の上の琴弾八幡宮の敷地に神恵院、中腹には観音寺がそれぞれ琴弾八幡宮の別当寺として存在していた。

 それが明治の神仏分離により神恵院が場所を追われて観音寺の敷地に移動した。そんな兄弟のような二つの寺、観音寺の院号も神恵院である。

 この観音寺、神恵院と琴弾八幡宮も含んだ琴弾山は時間が許すようならば是非ともゆっくり観ることを勧める。とくに展望台から見下ろした銭形砂絵は実物を見ると写真と違って圧倒される。

 この砂絵はかなり有名なもの。実際に観るとなると時間もかかりそうで敬遠されがちだが、期待は裏切らない。

 砂絵は頻繁に手直しが行われてメンテナンスが行き届いている。これはすぐ横にある観音寺中学校の生徒により永年に渡り伝統として続けられてきた校内行事のひとつなのだそうだ。

 観音寺を打ち終えると財田川を越えて隣の三豊市にある本山寺に向かう。三豊市は平成大合併で誕生した新しい市で、もとは豊中町に本山寺もあった。

 本山寺については明日改めて書こうと思う。個人的に好きな寺のひとつである■

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