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その後の日記(2)

 「その後」と書いておきながら入院中のことを書くのもなんだけど、しばらくはそんな内容の文章ばかりだと思う。入院中もラジオを聴いたり好きな音楽を聴いたりと、できるだけ「聴く」ことを忘れないようにしていた。聴くことにはいろんな効果があるが、特に入院中は得体の知れない他の患者との関わりを断つツールにもなる。それは耳をふさいで周囲を遮断する必要性に迫られるという、難しく書いてしまえばそんなところだ。そんな時は特に音楽を聴かずとも、ラジオを聴いたりもしていた。特に後半になってラジオが手に入るとラジオにはお世話になったと思う。

 ラジオは午前中は主にQR、午後になるとKR、夕方はLFを中心に聴いていた。ニュースなども扱うバラエティ番組がそれほど脱線もせず聴いていられる範囲に収まっていた。夜の番組はちょっと自分にはつまらなく感じられたし、もう何度も書いているが午後のR1もまた聴くに堪えられない番組を平日には流していた。ラジオは建物の中という事もあり、ワイドバンドFMで聴いていた。これだとR1は聴けない。昼食時に部屋に戻ったときはAMでR1が聴けたのでその時間はニュース+「昼のいこい」が楽しめた。この地味なコンビが昔から好きだった。「昼のいこい」が終わった12時半からもかつてR1では「旅するラジオ」という楽しい番組を放送していたのだが、今のR1はそれもスパッと捨てられてしまって即座に午後のつまらない時間へと突入していく。とにかく今のR1、午後は底抜けにつまらない。聴いているだけで時間の無駄。内容もスカスカで聴いて得られることもまるでない。もっと書きたいところだがこの辺にしておく。早急に番組を作り直してもらいたいものだ。

 さて、こうして部屋の中やデイルームなどでラジオを聴いて、できるだけ自分のペースを保つことが自分にはとても大切なことだった。ラジオを聴いていない時間帯は自分のiPhoneに入っているライブラリから音楽を聴いていた。入院当初は Primeやオンラインラジオでトルコや韓国のラジオを好んで聴いていたが、これが結構データ量を消費するので断念。夜の7時から8時まで韓国のCBS音楽FMだけを聴いていた。

 このCBS音楽FM、ちょうどこの時間は洋楽の時間帯なのだが、トークがあって音楽が流れる。言うなれば80年代くらいのFMによくあるスタイルだった。(FM横浜ではそういうスタイルがまだ絶滅していない)これがとにかく耳に心地よかった。韓国語もあまりわからないので直接脳まで言葉も届いてこない。また選曲もとても良かった。

 この時間帯の8時から番組が変わるのだが、そのオープニングの曲が昔からお気に入りだった。もうかれこれ8年以上も前から番組も変わっておらず、平日休日問わず夜の8時になると決まったメロディーで番組が始まる。8時からの番組は主にKポップがメインだが、あまり最新の曲は流れず、日によっては30年以上も前の韓国版懐メロが流れることがある。このなんとも言えぬ雰囲気がオープニングの曲からそのまま続いてきた時はとにかく至福の時間にも感じられた(ただしそんな事はそれほど多くはなかった)

 最近になってこの大好きなオープニング曲がわかり、早速検索してアルバムが手に入った。それはマイク・オールドフィールドの”Voyager"というアルバム。このアルバムの2曲目にある”Celtic Rain"という曲だった。

Mike Oldfield "VOYAGER"

 マイク・オールドフィールドはまさに「奇」の字の似合うアーティストだ。有名な「チュブラー・ベルズ」や「クライシス」というアルバムはまさに「奇版」と呼ぶべきアルバム。そして「クライシス」の中に収録されている「ムーンライト・シャドゥ」は大ヒットもした。そんなマイク・オールドフィールドがケルティックをテーマとして作ったアルバムがこの「ヴォイジャー」である。ところがケルティックにこれまでのノリの音楽を重ねて独特なアルバムにはなったらしいが、酷評されてあまり日の目を見ないアルバムのひとつでもある。とは言ってもケルティックの雰囲気にどっぷり浸れる完成度の高いアルバムには間違いない。酷評されたのはこの人にしてこのアルバム程度で収まるものではないだろうという意味なのだと思う。たまたまアルバムのタイトルがVoyagerだったために「これではVoyagerに出られない」という酷評がつけられのだそうで(Wikipediaにはそう書いてあった)

 とは言ってもこのアルバムの一部の曲には奇才ぶりもきらめかせている。とにかくこのアルバムが気に入って入院中は何度となく聴いていた。何年も前からメロディーだけとても気に入っていた"Celtic Rain"の他にも耳に心地よいメロディーが数多く含まれ、まさに癒やしの時間を作り出してくれる。ただしこの雰囲気がわからない人には退屈極まりないことだろうし、この人の作品に魅せられた人たちにとってはどことなく拍子抜けするのではないだろうか。

 さて、このアルバムについてはここまでにしておくが、こんな感じであまり刺激のない音楽を中心に聴いていた。他には冨田勲だとか、90年代の細野晴臣、そして時を同じくして脳腫瘍で入院されていた高橋幸宏のアルバムなども聴いていた。

 とにかくこの入院している間、音楽やラジオは自分には欠かせないものだったことは確かで、音楽まで取り上げられていたらどうだったかなと思う。またこの時初めてワイヤレスイヤホン(耳につけるだけのタイプ)を使ったが、イヤホンは進化してるんだなと思った反面、自分の耳の形はやっぱりおかしいみたいで(特に右耳が)よくはずれて落ちるのでこれは怖くて使えないなと思った次第。

 で、退院した今でもこれらのラジオやアルバムが生活の一部になっている。それは入院中の生活があまりにルーティン化しやすかったことと、自分でも身体に負担がかからぬように生活をルーティン化していて、この時間にはこれを聴き、この後はこの運動をするなんてことを一日を通して自分で決めていたこともあり、それが未だにやめられていない。それもおそらく退院しても入院時とできるだけ変わらない生活を心がけ、動きもかなり制限されているからなのだと思う。退院できたとしても生活と動きはまだ入院している時と変わらないのだ■

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