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療養日記 2022年1月21日 『しょうがいしゃ』

 今日は横浜医療センター整形外科の月一度の診察。毎月検査結果に進歩もなくレントゲン写真とにらめっこというのがここのところのお決まりパターンだった。診察の前の検査からして人が多くてかなり待たされる。オマケに今日はCT撮影もあってさらにCTには行列のできる有様。今日はこの一ヶ月身体の痛い所が増えるし痛む頻度も高くなるしでそのあたりを主治医にぶちまけるも、このあたりの反応は薄い。

 ただしCT写真を見て骨の移植をした腰椎がようやくくっつき始めているとかなり主治医も自信を持って言っていた。この後はグイグイと良くなる人と、今以上に時間はかかるが骨は着実にくっつくという人といろいろと分かれてくるから新たなスタートだと思ってこれからも頑張りましょうと言われた。

 しかしそれってゴールらしきものはないしある程度のところまで進まないと次へも進めない。次というのは今脊椎をガッチリ固定している4本の棒と12本のボルトを外すことだ。まだまだ先だが主治医としては2〜3段階で徐々に取り外したい様子らしい。しかしこちらとしてはそんなに何度も背中を開かれてはたまったものではないので次に背中を開くときは全部取るとだけ主治医に言っておいた。

 とりあえず3月の手術の効果はこんな時期になってようやく認められた。しかしながら現実はつらい。今日だって手術創をはじめあちこちが痛む。理屈では良くなっていると云われたって自分の身体は痛みばかりを感じている。

 今日の診察で大量に出されている痛み止めをちょっとだけ減らすことにした。他の薬と違って痛み止めを減らすってのはこんなにも勇気が要るものなんだなと思った。しかしもう一方(内科)の先生から指摘されている薬の飲み過ぎも心配だ。ということで服用する痛み止めから湿布へと切り替えた。

 今日はもう一つ大切なことがあって社労士の人に障碍者申請について相談をした。自分が目標とする障碍レベルは2級で、認定の条件や認定までのプロセスなどを説明してもらった。診察の際にもまだまだ目標達成までには時間がかかると言う話を聞いたばかりでもあったし、まだ働けない時間が続くのであればせめて障碍者年金くらいはもらえるようにしておこうと以前より考えていた。

 若干余談ではあるが僕は「しょうがいしゃ」という定義に対し「害」の字を使うことにはちょっと抵抗を感じていてどうして此様な方々が自分に於いても他人に於いても「害」を及ぼそうかと考えると不適当だと感じ「障碍」という文字を代わりに用いている。読みは同じだが。

 しかしこの字の使い方にこだわるようになったのは今から30年近くも前、その頃から同じ仕事をしていたけどまさか自分がその立場にかなり近づこうとはその頃夢にも思っていなかった。自分は病気でその結果今のようなちょっと不自由な身体になったけど、それを障碍者と名乗るほどとは思っておらず、最近になってちょっとずつ意識が変わってきたと書いた方が良いのかも知れない。

 ただこれから社労士を通して障碍者申請をし、それが受け入れられなければ自分はまだ障碍者ではないと考えも改められるのかも知れない。ということでちょっと複雑な思いでもある。障碍者年金をもらうべきか、それとも障碍者ではない日常を選ぶのか、未だに迷うことも多々ある。

 今日社労士と話をして知ったこと、ひとまず障碍者と認定され年金を受けることができてもその後の快復の度合いによってはまた年金受給を取り消してもらうこともできるということ。つまり一度障碍者として認定されてもまた取り消してもらえる。もう一つ障碍者イコール「健常者ではない」という考えは間違えていること。その上で自分はどうしていくかもう少し考えてみたいと思う。

 夕方になって薬を取りに行きそのまま買物もして戻って来た。今日買ったものは週末の鍋の材料になる(と思う)。

 さらにもう一つauのポイントがかなりたまっていたのでBluetoothスピーカーをポイントで注文したのが今日やってきた。一日ベッドの上で過ごすような生活を送り、以前よりスピーカーが欲しいなと思っていたので注文した。音楽聴くときヘッドフォンやイアフォンも使うけど部屋ではスピーカーで聴きたいと思う。音楽も聴くが今日届いたものはFM機能もついているのでワイドバンドFMなどでラジオを聴くことも多いんじゃなかろうか。どちらにしてもちょっと楽しみが増えた■

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