見出し画像

お遍路ウォーキング日記(159:五十一番石手寺へ)

【2024年6月12日(水曜日) Day 159】

 今日は五十番の繁多寺と五十一番石手寺を打った。繁多寺は昔から畑寺と呼ばれていて寺の一帯は畑寺町と呼ばれている。今日はこの繁多寺について簡単に書く。石手寺については日を改める事とする。

 繁多寺の始まりは8世紀、時の孝謙天皇の勅令により行基菩薩が本尊の薬師如来を彫り建立。その後弘法がこの寺に逗留する。この頃繁多寺と命名される。

 その後寺は荒廃するも伊予国司や源頼義などにより復興をし、13世紀には後宇多天皇の勅願寺となり、時宗の一遍上人も逗留している。

 江戸の時代には徳川家との繋がりを持つことで寺は大いに栄えたという。

 今は松山市内の住宅地の高台にある貯水池横に佇む静かな寺という印象を受ける。敷地は山門から見ただけでは想像もつかぬほど広く周辺との隔離された独特の雰囲気を持っている。

 この繁多寺から次の札所五十一番石手寺もそれ程の距離はなく、歩きでも簡単に行けてしまうくらいの距離である。

 ただし石手寺から次の札所五十二番太山寺までは少し距離が開いている。石手寺については明日ゆっくり書きたいと思う■

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?