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私のために泣いてくれた次男

「え!?パパとママって、年とるの!?」

次男はびっくりした様子で言った。

「もちろん、次男君が1歳増えれば、ママだって増えるんだよ」

次男の瞳には涙が。
うるうるしている。

「次男君どうしたの?なにが悲しいの?」

「だってね、どんどん年をとっていくと、消えちゃうんでしょ。パパとママがいつか消えちゃうなんて、そんな…」

私はびっくりした。
彼は元々感受性豊かな部分がある。
アニメの感動シーンで泣き、テレビで怖いシーンが見れなかったり、妖怪や鬼を怖がったり、今朝は火事の実験映像で恐怖を感じ、隣の部屋に逃げていた。

(ニュースを見ると、自分のことのように感じ、怖くて怖くてたまらなくなる私には、彼の気持ちが痛いほどわかる…)

私が子供の時はどうだっただろうか。
両親の死なんて、考えたこともなかった。6歳の自分にとって、親がいるのは当たり前で絶対的なことだった。

6歳の彼が、どこでその情報を仕入れてきたのかはわからないけど。
不安に思ってるのはかわいそうだ。

「大丈夫だよ。パパもママもまだまだ、ずーっとずーっと何十年も生きるよ。死なないよ、大丈夫だよ」

彼は少し考え、ふっと忘れたかのように、次の別の話を始めた。

何だか、こんなに、純粋に私が死ぬことを悲しんでもらったのって、初めてかも。

実母がたまに言う
「私より先に死なないでね。親は子供が先に死ぬことが1番の不幸なのよ」
という言葉には
「私を不幸にさせないでね」というニュアンスを感じてしまい、素直にそう感じたことはなかった。

私のため泣いてくれた次男。
自分には何も価値がないと思っている私。

辛くなった時、彼の涙を思い出して、生きなきゃって思うだろう。
そんな風に思える、とても純粋な涙だった。

でもね、本当は死って、怖がることじゃないのかも。死生観っていうのかな。
いつか死ぬことを受け入れることも、これから次男と一緒に学んでいきたいな。

たまたま今月から読み始めた本

生物はなぜ死ぬのか
小林 武彦/著
講談社現代新書

もう少し大きくなったら、説明してあげよう。

今日も穏やかな一日となりますように。