開運についてのわたしの想い(長いよ!)

6月になりましたね~(もう12日やん!笑)

なかなか梅雨入りしませんけれども
今日も30℃越えするとかしないとか…

そんななかのこちらの更新
前回から1ヶ月以上過ぎていました!
まあ、更新頻度などにこだわらずに
力を抜きながら続けていければと♡


さて…
書きたいことはたくさんあるのですが
今回は前回の終わりの方に
チラッと匂わせた 笑
『開運』について話していこうと思います

たぶんね、
開運という言葉が嫌いな人って
あんまりいないと思うんですよね
わたしも大好き♡笑

以前は迷ったら開運関連を選んでいましたし
それが良くないとは今でも
基本的には思っていませんが…


何でもそうだと思うのですが
依存してしまうことに問題、というか
落とし穴のようなものが
あるのではないかと

落とし穴までいかなくても
そもそも開運って運を開くわけですよね

いろいろ考え模索して
実体験を紐解いてみたりして
気づいたことは

運を開いても
自分が何もしなければ
それ以上は何もない、ということ

確かに何らかのやり方で
その直後、または少しあとに
願いが叶ったり良いことがあったりすると
開運◯◯のお陰かも?となりますよね

それは普通の反応ですし
実際御利益を賜るかたもいらっしゃるので
否定はしていません


しかし、しかしね
その御利益は必ずしも永続するわけではなく
人によっては棚ぼた的な現象であったり
ビキナーズラック然とした
" たまたま " 何かがうまく合致した
結果であるということがあるので

言葉が違うかもしれないですが
鵜呑みにしてはいけないのですね

してはいけない~
このような表現を嫌がるかたは多いですし
否定されているみたいと
受けとるかたも多いかと思いますが

この場合に関しては
それくらいの感覚でいたほうが
賢明なのではないかと

全肯定は善で
全否定は悪のように語られて久しいですし
精神的な病のかたには
あてはめてはいけないことは承知で
語弊や誤解も恐れずに書くと

全肯定は怠惰や後退を
生み出しやすいのですね

明るいほうに楽しいほうに優しいほうに
フォーカスすることは
とても大切なことだと思います

否定されたら嫌な気持ちになりますし
自信もなくなりますし
人によっては良くない方向に
流されていくこともあるでしょう


それらを踏まえても
ただただ甘く優しくyesばかりを伝えると
その瞬間は気持ち良くなりますが
続かないことが多いんですね

その結果、また聞きたい・欲しいとなり
本当は目を背けてはいけないことに
フォーカスしないままになります

それがどういうことかというと
自分で自分を鼓舞することを面倒に感じ
他者から気持ちの良い言葉を
求めるようになる=他責しがちに
なりやすくなるということにつながります

何が他責なのか?

いいことや優しいことや甘やかなこと
言ってほしいことやドンピシャなことを
言われないと受けいれない、認めない
そのような状態になりやすくなることと
同義であり…

自分でできることや
対峙しなければならないことを放置し
他者から肯定されなければ
態度に表す表さない関係なく
不機嫌な気持ちになるのは

そこから動こうとしない自分を正当化し
肯定してくれない他者が
配慮がないとか当たらないとか
人の気持ちがわからないと
「人のせい」にするから

他者(相手)にも否があるでしょう
本当に罵倒しかしない
罵詈雑言オンパレードな人もいるでしょう


ですが、どんな場合においても
今の状況から少しでも良くしたいと願い
開運したいと思うなら
開運◯◯にこだわるより先に
やったほうが良いことがあるんです

あまりにもあたりまえすぎて
拍子抜けするかもしれません

それは厄除け、なんです
厄祓いや先祖供養なども含まれます

厄年だけでいいんじゃない?
生まれ年に今年は災厄ないけど?
毎日セージ焚いてるけど?
塩風呂酒風呂入ってますが?
お墓参り行ってますが?

……そういうことじゃないんです

厄年の厄除けをしたとか
浄化することは毎日やってるとか
お彼岸にはお墓参りをかかさないとか

そういうことじゃないんです


もちろん、それらも大事なことです
永代供養お願いしているからいいでしょ、と
思われるかたもいらっしゃるかと思います
逆に言うなら
ああだからこうだからと反発や反論を
覚えるかたは回れ右をおすすめいたします


厄除け、厄祓い、先祖供養は
折に触れて受けられたほうが
ベストまではいかなくてもベターかと

神職のかたにも
いろんなかたがいらっしゃいますし
高僧といわれるかたや
有名且つ霊験あらたかな神社・寺社でも
神様が不在であったり
内部で揉めていたりということもあり
全幅の信頼は寄せられないというかたも
いらっしゃるかと思いますが

それでも
厄除け、厄祓い、先祖供養は
(祈祷、祈願、水子供養等含め)
神社・寺社で神職のもとで
受けられたほうが良いです
(これは断言します)


永代供養は値が張りますから
そんなんとてもじゃないけど無理です‥なんて
言わないでください😊

もし
永代供養が難しい(資金的に)
家族や親戚といろいろある
故人に良い思いがない
その他、あったとしても
供養はできますしやったほうが良いです

わたしが深川不動堂に参拝する会を
企画していたのも
そこに主旨があったんですね

500円、1000円から供養の護摩木を
申し込むことができます

現地でもホームページからでも
申し込みできますので
敷居は高くないですし
併せて厄除けをされても良いと思いますし
何より供養はご先祖さまのためでもあり
ご自身のためでもあるから

厄除けに抵抗があるなら
神社で簡易的な祓いができるところもあります
(大國魂神社など)
季節柄、夏越の大祓に参列しても

そのうえで
塩風呂や酒風呂、セージを焚く
お線香を焚く等
自分が良いと思うこと、納得することを
されていくのが良いかもなって

深川不動堂は成田山の分院ですので
神田神社(明神)にゆかりのあるかたは
浅草寺や四天王寺など
規模の大きいお寺がおすすめだと
阿闍梨のかたが仰っていました

祈祷や供養を申し込む神社や寺社は
ご自身で検索され試行錯誤されたほうが
より納得できるかと思います

先祖供養というと
なぜか家系図に話が及ぶかたが
たまにいらっしゃいますが
ご自身で市役所などに出向いて
資料を集めたり
または外部に依頼して作製していただくのも
悪くはないと思いますが

そのための労力や資金があるのなら
供養や祈祷に向けたり
お仏壇があるなら毎日お手入れされたり
飾るお花を購入したり
お墓参りの際の献花やお線香等を購入したり
なかなか行けない場所にある
お墓へのお参りのための旅費にされたり
するほうが個人的には良いのではないかと
考えます

なぜなら家系図を作ったことに
満足してしまいそうだから

ご先祖さまや神様に手をあわせるのは
自宅に居るときでもできます
要は気持ち、心が大切なのは言うまでもなく
日々祈りをかかさないことが
一番重要だと思うのです
毎日やらなきゃと思わなくていいの
そりゃ本来は毎日がいいけど

朝バタバタして時間に追われてる~
体調が悪い日はしんどい~
そんなときは心を込めて一瞬だっていいの
お手洗いのなかだっていいし
電車に乗ってる時に目を閉じて集中する
だけだっていい

真の開運てね、そういったところにあるし
始まっていくものだと思うんだよ

開運、と標榜すると
耳ざわりも聞こえも見た目もいいから
吸い寄せられてしまうのは
致し方ないとは思います

わたしは以前
預言メッセンジャーの前に
開運を付けていたんですね

でも、あるときから違和感を覚え
開運の文字をはずしました

goenmusubi(ご縁結び)預言メッセンジャー
という肩書きにしたのも
開運したいなら
すぐに開運に飛びつくのではなく
その前にやることがある
その一環として
わたしのお伝えする預言メッセージもあり
開運にご縁をつなげていく、といった
気持ちからそうしました


伝えたいことが伝わるかわかりませんが
(賛否ある考え方かもしれませんし)
わたしが思う『開運』について
書いてみました

読んでくださったかた
ありがとうございます♡



















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