深読み:静慮

禅の冊子の中に、「静慮」という難しい言葉を見つけました。「じょうりょ」と読むそうです。「しずかに自己をみつめる」ことです。

映像、音、香り、味、言葉、情報などには本来、良いも悪いもなく、人間の身体の感覚器官が受け止めています。すべての刺激は、人生で初めてのはずです。脳は記憶や過去の経験から、また同じ刺激であったり、良い刺激、悪い刺激といった先入観や同一視をしてしまいがちです。ジャッジ(判断・判定)は、人間が後から行っています。前のできごとは浄化・更新されているはずで、体感のキャッチは嘘をつかず、いかなる時も真新しい受け取り方をしています。そこを詳細にみつめることが大切とされます。スローモーション・カメラのように、心身にキャッチャーミット(感覚器官)にボール(刺激)が受け取られる「瞬間」のところをしずかにみつめることが、「しずかに自己をみつめる」のひとつであり、「静慮」とされます。

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