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【播州屋台の彫刻】忠臣蔵を題目とした狭間彫刻

忠臣蔵

12月14日は、江戸時代元禄15年12月14日 (旧暦)(1703年1月30日)に、赤穂義士47人が、吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった日です。義士らの地元の赤穂では、毎年この日には義士祭が開催されています。

江戸城・松之大廊下で、高家の吉良義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられたことを受けて、家臣の大石良雄以下47人(赤穂義士あるいは赤穂浪士)が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを仇討ちしました。

この仇討ちは、テロや暴力事件と言ってしまえば、それまでですが、古くから人形浄瑠璃・歌舞伎では「忠臣蔵」として人気の題目として知られ、現代でもドラマ化・映画化されたりと、一定の人気があるのにはそれなりの理由がありそうです。

「忠臣蔵」は創作物であるがゆえの脚色もあり、史実とは異なる部分もあるようですが、赤穂から東に位置する姫路市や加西市の祭り時に出される太鼓屋台にも「忠臣蔵」を題目にした狭間彫刻が散見されます。

1. 狭間彫刻「江戸城 松の廊下 刃傷事件」

上記での説明の通り、松の廊下での切りつけの場面です。

戦国時代とは打って変わって平和な江戸元禄時代において、江戸城の松の廊下という公の場において、刃傷事件が起こります。それを題材にした狭間彫刻においては、一方的に、丸腰の相手に斬りかかろうとするようにも見てとれますが、背景にある事情は複雑です。

井ノ口屋台(荒川神社)2022/10/02
清水屋台(恵美酒宮天満神社)2022/03/20
吉美屋台(魚吹八幡神社)2023/10/22

狭間彫刻においては、斬りかかる、攻め込む、駆け出すなど、決定的瞬間を捉えたダイナミックな作品が多いように思います。

例えば、「安宅の関」では、弁慶が身元がバレないようにするために苦境の思いで義経を金剛杖で打つ。牛若丸の時期の三条大橋で出会って以来、弁慶は義経を慕ってきたのですが、兄の頼朝に二人は追われることになり、奥州藤原氏のいる平泉(岩手県)まで逃走しようとします。北陸(石川県)の関所の安宅で、弁慶は役人の前で義経をめった打ちにしましたが、そのかいなく、正体はバレてしまいます。事を察した役人の同情により二人は通過させてもらいます。弁慶の心中を察すると地獄ですが、許した役人は仏です。兄頼朝は鬼です。

須加屋台(浜の宮天満宮)2023/09/24

「源平布引の滝:小桜責め」では、平氏武士が忍び込んだ源氏側の少女を打つ。耐えているのは、少女だけでなく、父の琵琶法師松波検校と偽り静かに佇まなければいけない源氏の侍多田蔵人行綱もです。滅多打ちにされる少女、そして目の前でぶたれる娘を知らぬふりをして琵琶を奏でる父親。壮絶な場面です。

玉手屋台(荒川神社)2022/10/16


「川中島の戦い」では、上杉謙信が、武田信玄に斬りかかリマス。戦国時代の強い武将同士の一騎打ちとして有名なシーンです。上杉謙信(右)の太刀を武田信玄(左)が軍配で受け止めます。武田信玄の手には愛用したとされる軍配団扇が模様と共に再現されています。一方、上杉謙信は白頭巾姿で駿馬にまたがります。駿馬は速馬連銭芦毛だったと伝わりますが、下の彫刻では判別は難しいです。

八家屋台(松原八幡神社)2023/10/14

2. 狭間彫刻「清水一学の勇戦」

清水 一学(しみず いちがく)は、吉良側の武士で、剣の達人でもあり、二刀流で奮戦し、赤穂義士の行く手に立ちはだかったことが描かれます。

しかし、史実では、ここまで活躍はせず、早い段階で倒されたとも言われます。また、今日のドラマでは二刀流として描かれていますが、明治期には二刀流としては描かれていなかったとか。

福井屋台(魚吹八幡神社)2022/10/22

3. 狭間彫刻「赤穂義士両国橋引き上げの場」

本懐を遂げ、両国橋を渡って引き揚げる義士の一行を、旗本の服部市郎右衛門が見とがめて押し止めます。由良之助が話した事の次第に感服した服部は、法を犯した者たちとはいえ忠義の心に免じて温情を示す場面。

大義名分があったとはいえ、奇襲攻撃であり、どこかに後ろめたい気持ちが当事者にもあったでしょうし、ドラマ(芝居)の視聴者にもざらっとした感情が残ります。しかし、この場面により、第三者が事の次第を聴いた場合にも、理解が得られたということで、安堵感が与えられます。

狭間彫刻で扱われる理由は定かではありませんが、大ごと(祭りや事件)があった後で他人に話を聞かせるということで好まれるのでしょうか。

本町屋台(加西住吉神社)2021/04/03
福井屋台(魚吹八幡神社)2022/10/22

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