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深読み: 眠られぬ夜のために

ヒルティの「眠られぬ夜のために」やアウレリウスの「自省録」といったいった本を読んでいた時期があって、それなりに歳を重ねるとあんな高尚なレベルの人間になれるのだろうかと思っていました。むしろ、ああいうレベルに早く達したいと、若気の至りで強い願望を抱いていました。
ところがなかなかなれるものではなく、むしろ遠ざかっているように思います。
ああいうレベルの人にもなかなか出会うことが出来ず、現代において、いわゆる「静」であり、「内省」というものはなかなか感知されないのかもと思いました。
何かをした。何かをしたい。いわゆる行為の希望や結果、感想を述べて発信はするけれど、相手ありきの発信であるので、語り方や書き方も、そういうものを意識してしまっているように思います。
哲学や思想を研究している人のTwitterなどSNSをフォローしてみても発信されていることは、内省的なものではなく、メッセージ色が強いのがわかります。誰かに何かを具体的に伝えたいというのがわかります。
そしたら、神様であるとか、自分との対話であるとか、そういうことはSNSでは語られないのでしょうか。語らないからこそ、内省なのかもしれませんが。

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