育児: 長風呂

子どもを風呂に入れるのを日課にしています。上の子(もうすぐ3歳)が日増しに長風呂になっています。手桶でお湯をくんでは、外に流したり、シャンプーの泡を手に取って自分の体につけたりと、色々遊びを考えて、なかなか風呂を出ません。最近なんかは、僕の頭にシャンプーをつけて、頭を洗ってくれます。最後には、ちゃんと流してくれます。本人にとっては遊びではないのかもしれません。なかなか上手なので、嬉しいと言えば嬉しいです。でも長風呂で、こちらはのぼせてしまい、少し疲れます。
長風呂と言うと、「千と千尋の神隠し」を思い出します。日本人にとって風呂は、大切な時間のように思います。せかせかした生活をしている中で、ゆっくりできる貴重な時間かもしれません。
そもそも、千と千尋で描かれる、「風呂」ってなんでしょうか。油屋には八百万の神々が汚れを落とし、疲れを癒しに来ます。クサレ神の入浴もその典型です。物理的な汚れだけでなく、神々とて、人々の災厄を肩代わりして、目に見えないケガレに塗れてしまうのかもしれません。したがって、あの作品で描かれる「風呂」は、浄化と癒しによって再生する場所と言えるかもしれません。一方、主人公の千尋も、はじめは頼りなく湯屋で働かされているのですが、だんだんとしっかりしてきます。これもまた、再生と言えるかもしれません。
バスタブにお湯をはるためには、それなりの水の量と、お湯を沸かすためにエネルギーが必要です。自然の浪費という観点からは、かなり贅沢なことをしています。夏は汗を落とし、体を清潔に保つ、冬場は体を温め、免疫力を維持する。その意味では、贅沢するだけの価値はあるのかもしれません。
うちの子も、風呂に入るたびに、少しずつ遊び方が変わっています。千尋のように風呂という場で、スピリチュアルな意味で、再生を繰り返し、成長しているのでしょうか。

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