深読み:映画「トータル・リコール」

SF映画「トータル・リコール(2012年)」は、哲学的にもとても興味深い内容だと思います。主人公ダグとマサイアスの間での会話です。

Matthias : Mr. Hauser, What is it you want? 君の望みはなんだ?
Doug Quaid : I want to help you. あんたを助けたい。
Matthias : That is not the only reason you are here. それだけでここに来たんじゃないんだろ。
Doug Quaid : I want to remember. 思い出したいんだ。
Matthias : Why? なぜだ?
Doug Quaid : So I can be myself, be who I was. 本当の自分に戻るために。
Matthias : It is each man's quest to find out who he truly is, but the answer to that lies in the present, not in the past. As it is for all of us. 人は本当の自分を知りたいと思うものだが、その答えは過去にではなく、その人の現在に隠されている。誰にとってもな。
Doug Quaid : But the past tells us who we've become. でも過去を知れば、今の自分が知れる。
Matthias : The past is a construct of the mind. It blinds us. It fools us into believing it. But the heart wants to live in the present. Look there. You'll find your answer. 過去というのは、意識(マインド)が作り出したものに過ぎない。人はそれを真実だと思い込んでしまう。しかし、心は今を生きようとする。心を見つめると、君の答えが見つかる。
Matthias : The past is just a mental construct. 過去とは意識が作り出したものにすぎないんだ。


インドの聖典プラーナ文献に以下のくだりがあります。

The Self is beyond time. It is indestructible and is untouched by merits and sins. It is omnipresent, omniscient and beyond Nature (prakṛti). Such Self creates a subtle body and a gross body, which are nothing but creations of trigunas (three attributes of Nature). 真我は時を超えています。それは破壊不可能であり、功罪の影響を受けません。それは遍在し、全知であり、物質原理を超えています。その真我が、三要素の組み合わせに他ならない微細体と粗大体を創造します。

文献によれば、マインド(意識)は、過去生、現在生の影響を受けるとされます。一方、本当の自己(真我)は、過去・現在生の影響も受けるものではなく、属性もなく、時間の制約も受けないとされます。

映画「トータル・リコール(2012)」で言われる心(Heart)を、真我(自己)に置き換えると、意味がすっきりします。この映画のように、記憶を操作されると、その人はその人じゃなくなってしまいます。逆に言えば、記憶が、その人がその人であることの根拠を持たせているとも言えます。映画では、誰か(国家)の都合の良いように主人公の記憶が埋め込まれたり、削除されたりしています。記憶を操作されることで、いろんな自分になってしまうという恐ろしい話です。

プラーナ文献では、記憶だけでなく、自我意識も、幻想だと言われます。すなわち、「私のもの」という所有欲もマインド(意識)による思い込みとされます。原始の文献でありながら、普段、私たちが思う「自分」というものが、案外、脆弱なものであることを警告しているのかもしれません。現代になっても、まったく色褪せないメッセージが記されていることに驚きです。


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