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氣について思ふこと

数日前まで、ほんと参っていたのだなーと1つ前の記事を読み返していて思いました。出だしが暗いわぁー、って。笑。

昨日の朝は小鳥のさえずりに嬉しくなって起きるまで体調も回復していて、日中のお天気のお散歩も心地よくて、ご飯も美味しくて。この感覚から読み返すと、この気持ちの差こそが、『氣』の捉え方の大元に関係するのだよなぁ、としみじみしています。

九星氣学を学んでいて思うのは、そこには『いい』も『わるい』もなく、ただ氣が流れているだけなんですよね。陰陽の氣が流れているだけなんですよね。陰陽の氣が吉凶なわけではなく、受け取り方の意識が吉凶を分けていくということ。

なので、あるポイント(方位や事象)が吉凶というより、そのポイントへ向かう個人の気持ちの根底にある意識によって、吉凶がうみ出されていく。それが現象化していくのが九星氣学の象位の表しているものなのでしょう。そこにあるのが気持ちの差なのではないでしょうか。

裏なり、裏の事情ということです。

すると1つ前の記事の『気の持ちようとそうではないこと』は、どうなるのか?ってことなのですが。

今回の体調不良もある側面だけからみたら、タイミング的に考えてみたりすると、なんだかよくないことのように思えるわけです。それを別の側面からみると、去年末に色々自分に無理をさせてガンガン進んでいた結果、身体と心に休息が必要だったということだったのだなぁ、と今更ながら思うのです。『いい』も『わるい』もなく教えられたのですね、氣に。この氣こそが、超えれない何かなんだと思います。

こうでもなければ、休息せずに自分を後回しにしてしまって、燃やす栄養がなくなっても気づかず、身体と心が冷えていたのではないかな〜?そして違う凶作用を生んでいたのではないかなぁ〜、と思うのです。おかげさまでよく寝て栄養をとっているせいか血流が良くなっていて滋養されています。

陥入というエネルギーは、自分の立ち位置を冷静に見ることができるような気付きを、身体、心、経済の状態を通してみせてくれるのだなぁと思います。また『始め』という立ち位置に立ち戻ることで、また新しいスタートダッシュを切ることを考えることができる。リズムの刻み方を考え直すことができる。

氣は Just 氣。
吉凶でなく、大きな全体の宇宙の流れ。『いい』も『わるい』もなく、ただ陰陽の氣が流れているだけ。そして陰陽の交わるところに生命の氣が生じる。

だからこそ、自分の - 裏なり- を形成する気持ちに、意識に、心を配ることを大切にし、宇宙の大きな流れと調和していくことを心がけたいですね。

氣と裏なりという気持ち



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