【短編小説】山田【声劇『ヒビキ』後日譚】

 あの子を初めて見た時。まだ子どもの気配が色濃いのに、煙草に火を点ける表情は世慣れた大人のようで、かすかに戸惑ったのを覚えている。
 あの子が歩んできた道のりの険しさも、背負い込んだものの大きさも、その華奢な体には身に余るほどだった。それでもあの子は、決して膝を折ろうとはしなかった。二本の足で懸命に立ち続けるあの子は、手負いの獣のような獰猛さと危うさがあった。
 この子を手中に入れて、果たして私に扱いきれるだろうか。全てが終わった後、狭く薄暗い病室で彼女を見下ろしながら、そんなことを思った。この子の抱える過去の重さ――庇護してくれる者もなく傷つけられ、同時に生きるために他者を傷つけてきたという事実――は、私の手に余りはしないだろうか。私の行動は、行き過ぎたおせっかいではないか。これは偽善であり自己満足なのではないか。結論を出すまでに、そんな問いが幾度も脳裏に浮かんだ。
 正解なんてない。ただ、自分の選んだものを正解にするしかない。このまま私たちは他人に戻ることもできる。けれど、それを選んでしまったら、きっと後悔する。あの時のように。
 そう思って初めて、私もまた過去という亡霊に縛られているのだ、と気づく。
 昏々と眠る彼女の顔は、私を睨んでいた時とも、試すように笑っていた時とも違い、年相応にあどけなかった。
 
 陽光の差し込む2LDK。私はいつも、目覚ましが鳴る五分前に目が覚める。洗顔を済ませ、朝食の用意をする。
 彼女はまだ起きてこない。前までよくうなされていたが、今では悪い夢を見ることもなくなったようで、今日もぐっすり眠っている。口を開けて寝息を立てている様子はやっぱりあどけない。そのあどけなさと、哀しく大人びた態度とのミスマッチは、日に日に減ってきている気がする。
「いつまで寝ているんですか?」
 私が肩を揺すると、「んー……あと五分……」と眠たげな声が返る。
「そろそろ起きてください。今日も仕事があるんですから」
「……ふぁーい」
 彼女はしぶしぶと言った様子で起き上がり、寝癖のついた髪を乱雑に掻いた。
「今日はなんの仕事?」
 朝食の席。口いっぱいにパンを頬張った状態で、彼女が尋ねる。ついでに目玉焼きを手で掴もうとしたのを「こらっ」と制する。
「行儀悪いですよ」
「へいへい」
「はいは一回」
「はぁい。……で、今日の仕事は?」
「浮気調査です。ラブホテルの前で張り込みます」
「げ、またぁ?」
「探偵の仕事なんてそんなものですよ」
 私がそう答えると、彼女は苦々しい顔で溜息をついた。
 口の端に食べかすをつけたまま、彼女が次のパンを頬張る。その様子を見ていたら、子どもが離乳食を食べていた時のことを思い出した。
 ――あの子がまだ生きていたら、こんな未来もあったのだろうか。
「んだよ、人の顔じろじろ見て」
「いえ……別に」
 誤魔化すようにコーヒーに口をつける。温かい液体が胃にじわりと染みこんでいく。

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