闘病記。その2

 大きな病院間の転院の手続きなんて勝手がわからないし、大変かと思った。元々いたA大学病院の方は、簡単だった。「B病院に転院したいです」
と言えば、それでO.K.だった。あとは病院の事務員と主治医がやってくれた。受け入れる方の病院の窓口は、最初B病院のセカンドオピニオン外来に電話をした。正式にはその部所が担当ではなかったのだが、電話に出てくれた方が、転院手続きの全てのことをわかりやすく説明してくれた。転院手続きに必要な書類の一覧表等も、郵送してもらえた。自分が診てもらいたいとおもっていた○○先生からも、電話がかかってきた。直接現在の状況を伝えることができた。
 ○○先生は、精巣腫瘍の治療において日本の第一人者なので、他の病院で治療してきた患者が途中からB病院に転院してくるのは、よくあるらしかった。○○先生からも、「A大学病院の抗がん剤治療は、よくないやり方をしてしまっている。」と指摘があった。自分の心は、少しズーンとなった。
 CT検査の結果、自分の腰のリンパ節の腫瘍は、3㎝ピッタリになっていた。セミノーマなので、後腹膜リンパ節郭清術を回避するかどうかギリギリライン。結局、手術はすることになった。手術をした方が良い大きな理由は、癌細胞を直接生体検査をするためだ。癌細胞は死んだふりをするらしい。抗がん剤で弱ると、しばらく無活動になる。しかし、しばらくしたらまた増殖を始める。生体検査で、生きてる癌細胞を確認すれば、即、再び抗がん剤治療をすることになる。

 B病院の医療は、あらゆる面でとてもレベルが高い。技術力もだが、なんなら清掃のスタッフも人間力が高い。そういう病院なので、たくさん患者さんがくる。そのため、会計が長い時間待たされる。大きな病院はどこも同じかも知れないけど。病院内の巨大なロビーで会計を待ちながら、手術のことを考えた。怖いけど、この手術を乗り越えたら、精巣腫瘍から逃れられる。そう思った。

 後腹膜リンパ節郭清術は、全身麻酔の手術だ。手術室で、麻酔医の先生からなんか話かけられて、なんか答えようとしたまでは覚えてるが。目が覚めると、手術は終わっていた。
 ICUでの2日間。管だらけで、ずっとベットでボーッと寝ていた。1回だけ立ち上がった。それは一種の洗礼だった。「ここで死ぬのか?」と思うくらいの、ヤバい意識の薄れかたをした。大きな手術をすると、皆が体験するあの瞬間。なんでも、血液と麻酔が、頭部や上半身から下に流れるからなるらしい。事前に聞かされていたけど、あれは、本当に驚いた。

 手術で取り除いた後腹膜あたりの腫瘍の組織は、検査の結果、死滅した細胞だった。良かったと思った。しかし先に書くと、手術では取り除けなかったところに、癌細胞があったらしく、2ヶ月後の検査では、再発の徴候が見つかることになる。

 数週間後には歩けるようになり、退院した。

 仕事にも復帰したが、しばらくして辞めた。

 仕事を辞めて、他の仕事を始める直前だった。○○先生から、電話で、「この前のCTの結果、再発しているみたい」と告げられた。かなりの重いズーンだった。

 B病院に再入院。ネット等で調べると、自分の状況と見とおしが暗く見えた。でも○○先生は、「これからだよ。まだまだだよ。」みたいな感じだった。つまり冷静で、前向きだった。自分も前向きになった。

 冷静で、穏やかに、次の抗がん剤治療の説明を受けた。TIP療法である。(パクリタキセル、イフォスファミド、シスプラチン)3種類の抗がん剤治療だ。以前の抗がん剤治療とあわせて、合計8クールになる。
 
 腫瘍の大きさは、この時3㎝あった。腫瘍が再発した場所が良くないことに、十二指腸に接していた。胃カメラで検査して見ると、十二指腸に浸潤していた。十二指腸の内側にはりだした癌組織。胃カメラを口にくわえながら、画像を見た。怖いものを見た。

 ○○先生、その他の関係ある先生、泌尿器科以外の内科等の先生も加わって、ミーティングがあった。抗がん剤治療によって、十二指腸に穴が急激に開いたら、命に関わるらしい。しかしバイパス手術とかを、小腸に施す時間的な余裕がなかった。
一か八かで、TIP療法を、今すぐやるしかなかった。「十二指腸に穴が開いた場合、緊急手術をすることになる。」と○○先生から言われた。順を追って、可能性やリスクを、わかりやすく、目を見て話をされた。自分は納得できた。

 抗がん剤治療がすぐに始まった。幸いにも十二指腸に、穴は開かなかった。しかも胃カメラの画像でも分かるくらい、腫瘍はかなり縮小していた。その胃カメラ検査の後の回診。○○先生が、「TIP効いてる、効いてるね。」と嬉しそうに言われた。自分も、胃カメラの疲れも吹っ飛ぶ程、嬉しかった。

 今回の抗がん剤は、かなり体にもダメージがあった。もう何も食べれなかった。薬剤投与中、時間が過ぎるのをただ待っていた。気持ち悪さとの戦いだった。

 B病院には、精巣腫瘍患者が5、6人いた。互いに気遣い、励ましあった。励ましたところで、頑張りようもないのは、お互いによくわかっていた。
月に1回、精巣腫瘍の患者会があって、ボランティアスタッフが話をしにきてくれた。

 夜、入院病棟の談話室には、入院患者が何人かいた。精巣腫瘍患者達は、たいてい同じテーブルに集まった。同じ病気を患った者同士で、語り合った。

 TIP療法のあと、18回の放射線治療を行った。

 腕の血管が、抗がん剤で駄目になっていたので、胸の動脈にカテーテルを入れて、そこから点滴や薬剤を投与していた。一応やるべき治療は終了したので、そのカテーテルを外す小手術をした。部分麻酔での小一時間の手術だった。
 意識が遠くなる感覚がした、直後、ビーッビーッと血圧低下を報せる警報音がした。体が一瞬で冷たくなった。声が出ない。先生達が慌てているのがわかる。「循環器科の~~先生に電話しろ」と聞こえた。不思議とあまり怖くなかった。ここで死んだら、TSUTAYAカードのポイントはどうなるのか?!とワケわからない疑問が浮かんだ。心臓が、不規則な鼓動をしていた。3秒間止まった。止まった?!と思ったら、不規則に2回動いた。人は突然すぎる危機には、淡々と反応するしかできないらしい。怖さを感じるには、時間がかかるのだ。
自分は、大きくゆっくり呼吸をした。鼓動と血圧が安定した。麻酔の注射が原因らしかった。循環器科の~~先生が駆け付けてくれたが、無駄足になってしまった。

 カテーテルを外す手術が終わった。入院病棟にワゴンに乗ったまま帰った。体が汗だくだった。担当の若い先生が、顔を覗きこみながら「大変でしたね。」と声をかけてくれた。その若い先生は、顔がバカボンに似ていた。自分は小さな声で「大丈夫です」と答えた。
窓の外の夕焼けがきれいだった。

 一応治療は終了した。退院できると思っていた。左胸に血管が浮き出て、左腕が浮腫み、体の上部左側に血管の青いのと赤いのがたくさん浮き出た。花京院典明のハイエロファントグリーンみたいだった。
退院は延期になった。

 検査をした。血栓ができて、血管が詰まったらしい。血栓を溶かしたり、サラサラにする薬を飲んだ。血栓ができるのも、抗がん剤治療の副作用ではよくあるそうだ。

 その後やっと退院できた。

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