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早朝の散歩は哲学の道

朝5時20分

今日は木曜日なので燃えるごみの収集日.
ゴミ袋を持ってアパートの脇にあるごみ置き場へ向かう.
外に出てみるとまぁ静かなこと.
車通りが少なく、鳥のさえずりがいくらか聞こえるばかり.
空気はほどよく乾燥していて涼しく、空には雲もほとんどない.
気持ちがいいので散歩に行くことにした.

一旦部屋へ戻り、ジーパンとパーカーに着替えて、外に出る.
特に目的地もなくぶらぶら歩きだす.
正面の朝日が眩しい、ということは東に進んでいるのだろう.
人通りはほとんどない.
たまにランニングしてる人がいるくらいだ.
寝ていないから、あまり頭が回らない.
ただ,この静けさとたまに首を撫でる柔らかな風が心地良い.
あまりに静まり返っているので,なんだか僕だけ違う世界に来たように感じる.
大きな道路に差し掛かると、道がまっすぐなので遠くまで車も人も無いのがよく見え、それが余計に非日常感を呼んだ.
このまま帰ることを忘れてどこかに消えてしまいそうになる.

30分ほど歩いたところで、日が昇ってきたせいもあると思うが、体が暖まってきた.
それと並んで頭の方も少しずつ起きてきた.
そろそろ折り返すことにする.
そういえばまだ一軒もコンビニに当たってない.
コーヒーの一杯でも買おうと思っていたのだけれど.

途中,差し渡し5mほどの小さな橋に差し掛かった.
渡っていたときに水面を見てふと,川の流れに違和感を覚えた.
行きは頭がぼんやりしていて橋を渡ったという意識すらなかったが,今感じたこの違和感の正体はなんだろう.
頭の中の地図と照らし合わせてみて,川が北に向かって流れていることに僕は困惑したのだと気づいた.
しかし,これは不思議なことでもなんでもなく、札幌から北の石狩湾の方へと流れているだけだ.
ではなぜ自分は,瞬間この川の流れがおかしいと思ったのだろう、と帰路に就きながらよく考えてみた.

ほどなくして,それは僕が広島出身のせいだと見当がついた.
つまり,川の水というのは南の瀬戸内海に向かって流れる,というイメージが僕の無意識の中にあったのだ.
北半球に住む人がなんとなく北は寒く,南は暑いというイメージを持っているように,僕の中でいつの間にか『南=海=水が流れゆく方角』という等式が出来上がっていた.
驚いた.

日本海側出身の人は逆の方が自然に感じるのだろうか.
そもそも普段東西南北を意識しない人には共感してもらえないかもしれない.
けれど僕は僕自身の無意識の思い込みにまた一つ気づけて嬉しかった.
思いがけない大発見をした、良い散歩だった.

水の低きに就くが如し

京都には哲学の道と呼ばれる散歩道がある.
銀閣寺近くの水路のほとりにあって,春には満開の桜が見れるスポットとしても有名だ.
昔,文人や哲学者がよくここを訪れ,思索を巡らせていたことからそんな名前がついたらしい.
京都にいた頃大学生だった僕は,散歩するだけで問題が解けるなら苦労しないよ!と八つ当たり的なことを考えながらレポートに齧り付いていた.
しかし今朝のことで,頭で考えることも大切だが,時には自然に身を投げ出してみるのもいいと感じた.
外を見て,内を知る,とでも言えばいいのか.

今度京都に行くことがあったら,時間を作ってゆっくり哲学の道を歩いてみようと思う.

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